2019年5月29日水曜日

来週のメッセージ

6月2日 岐阜神愛キリスト教会、澁澤道忠牧師のメッセージは
聖書 ルカによる福音書11章5節〜8節
奨励 「パンの友だち」です。
イエスさまのお話は
 あなたがたのうち、誰かに友がいるとして、真夜中にその友の所に行き
『君。パンを3つ貸してくれ。
友人が旅の途中、私のうちにやってきたのだが、出してやる物がないのだ』
と言ったとします。

すると、彼は家の中からこう答えます。

『面倒をかけないでくれ。もう戸締りもしてしまったし、子どもも私も寝ている。起きて、何かをやる事はできない。』

あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまでも頼み続けるのなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。


どうやら「あくまでたのみ続けるのなら」という箇所が気になります。
2日のメッセージに期待しましょう!

詩篇68篇19節
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。

私たちの救いであられる神。


5月26日礼拝時、清子先生のおあかし

聖日礼拝の時に清子先生が、おあかしをされました。

私は最近80を過ぎて体はだんだん衰えましたが、
ヨボヨボではないと思ってませんが、足取りはヨボヨボなんですね(^^)
私は毎朝近所を、ポールをもって散歩しています。
姉妹は1日1万歩以上歩くと言いますが、私はもうそんなに歩けない。

お証です
岐阜に来た頃、朝に月を見ていました。
その月を見ながらよく息子たちのことを思っていました。

最近朝の月に加えて、私は夕方に何か光る物を探しました。
すると、西の太陽が輝くと、教会の十字架が反射して輝くのです。
十字架を見ながら私の罪のために、イエスさまがこの十字架で血を流された。
イエスさまは神様の愛を私に伝えてくださった。
だから私は、
岐南町で主に仕えるように、人に仕える人生で終わりたい
そうなったらいいな、と思います。

全てを一つの言葉でまとめるとしたら「めぐみ」なんです。
ただ恵みだけです。
主から頂いたこの大きな恵みを伝えていけたらいいなと思います。

聖歌の343番、吹きながら(笛を)みなさんと歌いたいと思います。

「罪に満てる世界 そこに住む世人(よびと)
『生命得よ』とイエスは 血潮 流しませり
ああ恵み! 計り知れぬ恵み
ああ恵み! われにさえ及べり」

「この讃美歌に一節付け加えました。」

今ぞ主の前にて 我が罪を許して
豊かなる愛をば 注ぎたまえ我が主
ーみなさんで歌いましょうー
ああ恵み! 計り知れぬ恵み

ああ恵み! われにさえ及べり
アーメン




2019年5月28日火曜日

神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入れないルカ18:17

5月27日岐阜親愛キリスト教会で聖日礼拝が行われました。
賛美と祈りの時間に続き、澁澤道忠(しぶさわ みちただ)牧師のメッセージ
奨励は「こどものように」でした。ルカによる福音書18章15節〜17節
神の国を受け入れる者でなかれば、決してそこに入れない。


聖書の箇所は短いですがとても有名な場面です。

その頃イエスの名前はかなり有名になっており、人々はイエスの話を聞こう 奇跡を見ようと集まっていました。
そこへ我が子をイエスに触っていただこうと、近づいてきた親たち(子ども達)それを見たイエスの弟子達が彼らを叱りました。
その時イエスは弟子達をたしなめこう言いました。
子ども達を私のところに来させなさい 止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入る事はできません。」

子どものように神の国を受け入れるとは?

私たちがまだ子どもの頃のように
疑いを持たず素直な気持ちで親の言うことを聞くことができました。
いつの間にか親の言うことなんて、それに従うなんて
と思っていましたが
実に親になってみると、同じような事を子に言っているようです。
 




 ブログを引っ越しました。 https://ameblo.jp/gifu-shin-ai-church/