2019年9月26日木曜日

9月29日はこのメッセージ!

マタイによる福音書11章7節〜10節
奨励「すべての事に感謝」

この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。
「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
でなかったら、何を見に行ったのですか。
預言者を見るためですか。そのとおり。
だが、わたしが言いましょう。預言者よりすぐれた者をです。
この人こそ、
「見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、
あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。」
と書かれているその人です。

この人たちとは、洗礼者ヨハネの弟子です。
ヨハネはすでに投獄されていて、
獄中で聞いたイエス様のうわさを確かめるために弟子を遣わしました。
弟子たちは「おいでになるはずのお方はあなたですか?」との答えを携え
ヨハネの元に帰ります。

弟子たちを見送ったイエス様は
洗礼者ヨハネの行く末をご存知なのでしょう
「この人こそ」そうイエス様は話し出されました。


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岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
058-245-0361


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2019年9月25日水曜日

「驚くべき大漁」ヨハネによる福音書21章1節~7節

今日の聖書はヨハネによる福音書211節~7節です。

ヨハネによる福音書はこの前の20
イエス様が十字架にかかって死んだ後、よみがえって弟子たちに現れた。
ここで一旦終わってるのですが、弟子たちはよみがえりの事実を確認しただけに留まっています。
弟子たちは、やはりキリストがそばに居ないとなにも出来なかったのか

21章のはじめで
ふと現実に戻ったシモン・ペテロが数人の弟子たちの前でポツリと言います。
「私は漁に出る」
すると、まるで迷える子羊の群れのように、弟子たちも同意してしまいます。

喜びも希望も無いまま、とにかく漁には出たものの、一晩中何もとれなかった。
疲れ切った明け方に、岸から船上の彼らにイエス様が声をかけます。
「お~い!なにか採れた?」
「まったくだめだね・・・」

見ず知らずの人が船の右側に網をおろしてみなさいと叫んでいる
朦朧とした彼らは最後の力を振り絞って網を下ろすと、
ものすごい量の魚が入っている!
大変なことになった彼らは一心に網を引くが、
不審に思った一人の弟子が岸を見つめて、はっと気がついた(イエス様だ・・・)
黙々と働くシモン・ペテロの肩をたたくが振り向きもしないので、思いっきり引っ張り岸を指さして彼に言った
「主です」
何を言ってるのかわからなかったペテロの顔色がみるみるうちに変わる。
居ても立ってもいられないシモン・ペテロは、上着をまとい海に飛び込みました。

他の弟子たちも続々とイエス様のところに帰ってきます。
イエス様は天国に帰ったのですが、(聖霊という形で)ずっと彼らと一緒に居たのです。
みんな喜びでいっぱいなのに、何も誰も語らない。
イエス様は用意しておいた朝食をみんなに配って祈りを捧げます
まるで、今まで何も無かったかのように

そして、シモン・ペテロに問いかけます「あなたは私を愛しますか?」
この続きはぜひ聖書をお読みになって下さい。

21章これはラストシーンなのですが、ここから全てが始まるのです。



私やあなたの人生にイエス・キリストはこのように関わっていくことでしょう。
主の祝福があなたにたくさん有ることを切に祈ります。

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2019年9月19日木曜日

光の子らしく歩みなさい。

今日のメッセージは「光の子らしく歩みなさい」でした。

光の子とは、神様を受け入れた人、信じた人のことをいいます。
まだ私たちが、神様を信じてなかった時のことを、暗やみの中と呼びましょう
暗やみを歩けばやはり何かにつまずく事、迷う事がよくあります。
聖書には、そのように書いてあります。

あなたの人生は暗やみの中を歩いてるようなものです。
大きなお世話ですよね(笑)
確かに突然そんなことを言われても困ってしまいます。

では、イエス様は「私は世の光です」と言いました。
これを大前提として話を進めてみます。
神様のいない人生というのは、
光のない人生(暗やみの中の人生)と言うことになります。
ただ、神様を信じているからと言って、間違いをしてない訳でもない。
じっさい勘違いな歩み方をしている人もいるのです。

実は私も偉そうなことは言えません
教会から帰って来たばかりで、いまさっき御言葉を聞いて喜んでいたのに
帰った途端家族に口うるさく言ったり、とても光の子なんて言えない行動
情けないほどちっぽけな者ですね(^^;)

聖書では(エペソ5章8節)
あなた方は以前は暗やみでしたが、今は主にあって、光となりました。
光のこどもらしく歩みなさい。
光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。
実を結ばない暗やみのわざになかまいりしないで
むしろそれを明るみに出しなさい。

とあります。
光となっても(神を信じても)あらゆる善意と正義と真実を行うことが大切です。
善意と正義と真実の中には、苛立ちや憎しみは存在し得ません
そこには愛と平和があるはずです。
平和を作り出すものは幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
(マタイによる福音書5章9節)

これこそが、あなたの人生を幸せにする正しい方法なのです。
もしあなたが、つらいとか悲しいなら祈ってみてください。
・祈る時、信じて求めるものはみな与えられるであろう。
・もしあなた方のうちの二人が、どんな願い事についても心を合わせるのなら、天にいます私たちの父はそれをかなえて下さる。
こう聖書に書いてあります。
今日が、あなたにとって素晴らしい一日であることを、心から祈っています。

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2019年9月12日木曜日

次週は「光の子どもらしく歩みなさい」です!

キーワード 御霊に導かれて進もう(ガラテヤ525節)

ヨハネによる福音書1234節~36

そこで群衆はイエスに答えた。
「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、
どうしてあなたは、人の子は上げられなければならない。と言われるのですか。
その人の子とは誰ですか。」
イエスは彼らに言われた。
「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。
やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。
やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。
あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」

ヨハネによる福音書の13節に
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」とあります。
夜空の星のほとんが太陽と同じ恒星である。と知ったのは、実は大人になってから(笑)
一番近くの恒星でも4.3光年
1光年が約94600kmと言われていますから・・・遠いって事ですね!
リギル・ケンタウルス 明るさも大きさも太陽とほぼ同じだそうです。
だそうですとは言え、直径は約140万km。ちなみに地球の直径は1万2,7千km
では直径140万kmは大きいのかというと、そうでもないそうです(^^;)

創世記第1章3節
神は仰せられた。「光あれ。」
それが宇宙の始まりです。

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2019年9月9日月曜日

ルカによる福音書10章29節〜39節「強盗に出あった人」

98日の礼拝では「強盗に出あった人」というメッセージでした。

聖書では「善きサマリア人」として有名な箇所です。


その前に!
ここでは六つのキャラクターが出てきます。
お話の順に
ある人・・・・エルサレムからエリコに向かっていた人
強盗・・・・・その人を襲った人
祭司・・・・・エルサレムの神殿に使える偉い人
レビ人・・・・神様の言いつけを守り、忠実な人
サマリア人・・上記の人たちと歴史的に険悪な人(話の中では地位のある行商人)
宿屋の主人・・行商人は、宿屋の上客であると思われ、主人は絶対の信頼を置いている

これらの人たち、サマリア人を除いては全てユダヤ人だと思われます。
そのユダヤ人は、なぜサマリア人と仲が悪いのか。それは動画の中でも説明されています。

元は同じ民族でしたが、ある時一部の人たちは敵国の捕虜になってしまいます。
彼らは、歴史の中で敵国の国民と結婚してしまい、
正当なユダヤ人ではなくなってしまいました。(血筋的に)
そして、純血じゃ無い人々をサマリア人(サマリア地方の人)として蔑んでいたのです。

ルカによる福音書1029節~

しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
イエスは答えて言われた。
「ある人が、エルサレムからエリコに下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは・・・

と続くのですが、最初に書かれている「彼」は、とても聖書に詳しく忠実な人
聖書では、律法学者やパリサイ人が登場するのですが、ここでは律法の専門家と書いてあります。もしかすると彼は弟子の一人かも知れませんね(^^)
いずれにせよ彼には聖書に対する自信とプライドがあったようです。もしかするとイエス様以上に聖書の知識はある!という自負があるのでしょうか、25節には「ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。」とあります。

でも結局そのプライドは打ち砕かれ、あなたの敵を愛しなさい。
という聖書の基本を教えられるのですね。
そう言う所を克服し、神様の前では同じ人間(同じ罪人)なんだという意識を持ちなさい。

となるのですが、今日の岐阜教会では、すこしアプローチを変えて

強盗とは、私たちの人生に降りかかる災難。その辺りから話が進んでいきます。



強盗とは、例えば私たちに降りかかる災難
人生において、私たちは様々な災難にあいます。
時にはこの強盗にあった人のように、立ち上がる事も出来ない状態になるかも知れない。
あなたはだれかの助けが必要なのに、誰も立ち止まってくれない。
そのような時にあなたを助けてくれるのは、イエスキリストしかいないのです。

今週の聖句は詩篇62:8
民よ。どんなときにも、神を信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。

もしあなたが、いま疲れてるのなら、いま強盗にあった人のように立ち上がる事が困難なら
神を信頼して、あなたの心を注ぎだして神に祈りましょう
神様だけが、私たちを癒されるからです。と聖書には書いてあります。

今日も明日も一緒に祈っていきましょう!

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2019年9月6日金曜日

次週のメッセージは「良きサマリア人」ルカによる福音書10章29節です

来週の聖書はルカによる福音書1029節~39


しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
イエスは答えて言われた。
「ある人が、エルサレムからエリコに下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、
彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じように、レビ人も、その場所に来て彼を見ると、
反対側を通り過ぎて行った。

ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中で、そこに来合せ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。
「あなたも行って同じようにしなさい。」

「良いサマリア人」のたとえ話です
イスラエルの人たちと、サマリアの人たちは、仲が良く無い関係です。
お互いに嫌いなんです。なんか、昨今よく聞く様な話(笑)

ある人がエルサレムという大きな街から帰る途中、強盗に襲われました。
かわいそうに、持ち物は全部奪われて、さらに暴力を受け倒れていました。
それを助けたのが、仲の悪い人。
見て見ぬ振りをしたのが、レビ人や祭司。
卑怯者のレビ人や祭司・・・でもわたくし、彼らの気持ちが良くわかる。
あ〜倒れている人、困っている人がいる〜
でもわたしちょっと忙しいし、関わり合いになりたく無いし・・・
ごめんね!と言って反対側に渡って行ってしまう。

後からになって、助けてやればよかった。なんて思うのです。
「神様、見殺しにしたあの人が助けてもらいますように!」
なんて祈っちゃたりもします。

そして、同胞でもない人を助けたのはサマリア人だった。
彼に、どうして助けたのかを聞くときっとこう言うでしょう
「人として当たり前のことをしただけです」
でも人は、当たり前のことができないのも事実なんです・・・

イエス様は私にも言います「あなたも行って同じようにしなさい。」
それがなかなか(^^;)

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2019年9月2日月曜日

9月1日聖日礼拝、奨励「わたしは世の光です」ヨハネによる福音書9章1節~7節



今日の礼拝では、ある盲人のお話でした。

彼は、生まれつき目が見えませんでした。
イエス様に弟子たちは「彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか?この人ですか?両親ですか?」と質問しました。

因果応報という言葉があります。
すべて物事には原因があると言うことですね
弟子たちの考えも、そうだったのです。その方が納得しやすいじゃないですか!
あんなことやって、だからこうなったんだ。神様のバチが当たったんだ!
とかく悪いことに使われやすい言葉ですが、
仏教用語では、良いことにも当てはまります。善を行ったから、良いことが起こった。
いずれ「結果には要因がある」との考えです。

でもイエス様の答えは違いました。
どこにも原因はない「ただ神のわざがこの人に現れるためです」
と言ったのです。



天地を創られた神は「光あれ」と言いました
宇宙はまったくの無から、有が生じた瞬間です。

彼は、無に等しい者。その時代には、彼の存在の意味すら疑問なほど無に等しい人
その彼は、なぜそこに居たのか。それは、神のわざが現れるため。だったのです。
彼はイエス様に「私の目が見えるように」などと何も言ってません。
イエス様の事すら知らないのですね(^^)

目に泥を塗られている時、何が起こっているのか、わからなかったかも知れません。
シロアムの池に行って洗えと言われ、そうすると目が見えるようになりました。
名も無き彼はイエス様を神の子と信じて、それ以降猛然と主の証人となりました。
ユダヤ人の前に立たされた彼は、ある時イエス様に出会います。
「あなたは人の子を信じますか?」
「主よ、その方はどなたなのでしょうか?わたしがその方を信じられますように。」

信仰とは、信じるということは「なになにだから、信じる」と言うような、因果応報てきな理屈では無いのです。
無から生じることのように、まったく有り得ないことを受け入れること。
2匹の魚と5個のパンが、5,000人の食事となり、盲人が見えるようになり、立てなかった人が歩けるようになること。そして、イエス様が十字架の死から、よみがえられた事。

ヨハネ8章12節
「わたしは、世の光です。わたしに従うものは、決してやみの中をあゆむことがなく、いのちの光を持つのです。」

今日も明日も、主を見上げ、その光に導かれる生き方となりますように。



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