2019年7月31日水曜日

聖日礼拝「わたしはいのちのパンです」

今もし、この文章を読んでるあなたが
イエスキリストはキリスト教と言うことはしっているし
聖書も知ってるけど、読んだことが無い。としたら、
私の書いている文章はどう伝わるのでしょう。

 今日は聖書の中の、ヨハネというイエスの弟子が書いた、
奇跡が起きたぞ!という場面です。

 あなたは、奇跡と聞いて何を思い起こすでしょう。
「九死に一生を得た」これはよく「奇跡的に」という表現がされますね
まず無理、あり得ないような、崖っぷちでバランスを失って腕をぐるぐるしたらなんとか助かった!
そんな、困難が克服された時は奇跡です。宝くじに当たるもの奇跡?
一生のうちで、何度も経験できることのない奇跡的なこと。こんな感じでしょうか。

あり得ないことが起きること
それが奇跡だとしたら、キリスト教の中で一番大きな奇跡は
イエスが十字架で処刑されて死んだ後、3日目に甦ったことでしょう。
あなたはそれを事実と思うか、信じられないか。
さて、どちらでしょうね^^


(ヨハネによる福音書6章1節から)
 ある日、イエスと弟子たちが小高い山で、座っていると
大勢の人々が集まってきました。
聖書の中には、男性だけで5,000人と書いてありますから、
女性やこどもを含めると10,000人は超えていたかも知れません。
そんな群衆がイエスの教えを聞いていたのですが、夕飯の時間が近くなってしまいました。
特に考えてもしてなかったので、用意も無い
買ってくるにしても、予算も無いし、
まして、この人数に配れるだけ在庫を持ってるパン屋すら無いのです。

すると弟子の一人が、少年がもっていたお弁当を見つけました。
でもそれは、とても貧しいお弁当。大麦のパン5個と小さな魚2匹でした。

でもイエスはそれを受け取り、
感謝を捧げてからパンを割き、人々に分け与え始めました。
2匹の魚も同様に割くのですが、パンも魚も無くならないのです。
大勢がもう十分というまで食べた後、無駄にしないようにと余ったパンを集めると
12のカゴがいっぱいになりました。

これを見た群衆は、イエスを自分たちの王様にしようと思いました。
そうすれば、働かなくてもパンが食べられますから!
開いた口がふさがりませんが、人間なんてそんなもんじゃないですか?

イエスはそんな彼らに言います
「なくなる食べ物のためでは無く、永遠の命に至る食物のために働きなさい。」
ちょっと難しいですね
食べ物のパンは、食べてもまた食事の時間になるとお腹が空きます。
そういう現実的なパンのことでは無く、イエスの教えをパンに置き換えています。
私の教えをよく聞き守りなさい(よく噛んで身にしなさい)

お腹は一杯にはなりませんが、心が満たされるパン。
それがこの「いのちのパン」
イエスの言葉を生活の中に取り入れることが大切だと言っています。


イエスの教えの一番大切なことは、互いに愛し合うことです。
自分を愛するように、他人も愛しなさい。
もしそれが出来たなら、争いは無くなるでしょう
犯罪もいじめも無い世界。神の国とはそのような場所だと信じています。

ここまで読んでいただけたでしょうか?
もしなにも信じられなくて、奇跡なんか嘘っぱちだと思っていても、それが普通です。
でも一つだけ言えるのは、神様の導きがなければ、あなたはここまで読んでいなかった。
もうすでにあなたは、神に選ばれているのですね。

動画が配信されています。
ちょっと長いですが、ご覧いただけると幸いです。



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岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
〒501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
058-245-0361


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2019年7月25日木曜日

教会学校はじまるよ!

夏ですね!
夏はあついって知ってますが、毎日あついです。
私は毎朝犬の散歩をしているのですが、
犬も暑いのですね、日陰から出たがりません(^^)


さて、こんどの日曜日は教会学校があります。
時間は9時50分から始まりますから、遅れないように来てください。
教会学校では聖書のお話を聞いたり、賛美歌を歌ったりましす。
初めてのお友達も大歓迎ですから、ぜひ来てください。

教会学校が終わったら、工作の時間もあります。
今回は、「ミニチュアレストラン」をつくります!


みんなで好きなメニューを考えましょう。
絵の具を使いますので、汚れてもいい服装で来た方がいいかな(^^)

では、教会でまってるね!


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7月28日のメッセージは「私はいのちのパンです」

聖書:ヨハネによる福音書 6章1節〜10節


 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリアの湖の向こう岸へ行かれた。
大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

 イエスは目を上げて大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、 しようとしていることを知っておられたからである。
ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんな大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

今回も有名な聖書の箇所です。(有名でない聖書の箇所ってどこでしょう^^)
五つのパンと二匹の魚を、男性だけでも五千人の群衆に分け与えるシーンです。

他の福音書にもこのシーンが書かれていますが、
ヨハネだけが書いている幾つかの事。
例えば
どうやって食事を取らせるかピリポに相談したこと。
パンと魚を持っていたのは少年だったということ。
魚を持ってた少年を探し当てたのはペテロの兄弟アンデレだったこと。
また、付き従った群衆の様子など。
他の福音書では、集まってきた群衆にイエス様は哀れみの目を持っていたり、ルカによる福音書では、彼らを(群衆を)喜んで迎えた。と書いてます。
ヨハネの立ち位置というか、視点の場所がイエス様にすごく近い感じがするのですね。

この前に、バプテスマのヨハネが牢獄で首をはねられます。
そのことに関するイエスの心中をヨハネが感じ取れたから、具体的に書かなかったのではないか。
また、使わした弟子たちが数々の奇跡を起こし、戻ってきてイエスに報告している姿は
個人的な見地ですが、嬉々として報告してたのではないかと
そんな弟子たちには、自分の感情は押して対応する姿を、ヨハネは感じ取っていたのではないだろうと思います。

物理的な奇跡を見たから従う。
さらにもっと見たいという群衆に、イエスは言います
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」 ヨハネ6章27節

食事をするようにみ言葉に触れ、祈ることが求められてるように思います。

28日の礼拝では、この箇所のみ言葉が語られます。
その場所に行けることを感謝しましょう!
また、礼拝の後はアイスクリームパーティーがあります!
教会学校もあります!
楽しみな日曜日ですね(^^)

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2019年7月22日月曜日

聖日礼拝「わたしのところに来なさい」7月21日のメッセージ

奨励:わたしのところに来なさい
聖書:ルカによる福音書5章27節~32

 私は小説を読むのが大好きなんです。
小説というのは、筋道をつけて、読者にわかりやすく書くのが基本ですね。
でも聖書は違います。話が唐突に始まったりもします。
ー聖書ー
この後、イエスは出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい」と言われた。
 
さて、初対面の人から「私について来なさい」と言われてついていきますか?
どうやら、イエス様とレビは初対面ではなさそうです。

 まずレビという取税人、彼は税務署の長官のようで、前に出てきたザアカイさんよりもっと地位のあった人。
さらにユダヤ人、イスラエル人の学者でものすごい熱心なキリスト者だったようです。
神学者でもあり、イエスとは入魂の間柄。と見る研究者もいます。
マタイによる福音書を書いたのも、このレビさんです。

ザアカイさんもそうなのですが、当時の取税人はずるい人ばかりだったようで
税金をごまかして、多く集めたり私服を肥やしていました。
レビさんは、そんな仕事に嫌気がさしていたようで
できることならイエス様について行きたい。まっとうな人間になりたい。と思っていたのです。

ですから、イエス様から「ついて来なさい」と言われた時
全ての財産を捨てて、立ち上がってイエス様に従いました。
「立ち上がって」と書いてありますが、これは生半可な決心ではない、断じて退かない覚悟を持ったのです。

 そこでレビさんは、自分の家でイエスのための大振る舞いをしました。
街の人も大勢、貧乏人も金持ちも同僚の取税人やパリサイ人、律法学者までもが招かれました。
実はレビさんに、考えがありました。
だれでもイエス様に会えるのですよ、一緒に食事をして、話を聞いたり交わることができるのですよ。
と証明してみせたのです。まるで、教会のようですね!
神の前にはみんな罪人なんだ。と言うことを知って欲しかったのかもしれません。

ここで一役かうのが、パリサイ人。
「あなたがたはなぜ、罪人と一緒に飲み食いするのですか?」
と弟子たちにもんくをいいます、面と向かってイエス様にいうのが怖いのですね^^
よく見ると、彼らも同じ席に招かれていますね。一見とても正しい人のように見えますが
イエス様から見たら、他の人となんら変わらない、ただの罪人でしかないのです。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。 
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネによる福音書316節)
全ての人は罪人だから、イエス様によって救われて、永遠の命を受けるため、
そのためにイエス様はお生まれになってくだされました。
これが真理です。

そんなパリサイ人たちにイエス様が答えます。
「医者を必要とするのは病人である」
人はみんな病人であり、罪人なんだと 本当はイエス様も気がついて欲しい
パリサイ人だけではなく、人はとかく自分が正しいという観点によって物事を見てしまいます。

「朱に交われば赤くなる」日本の教育の原点のような言葉ですね
馬鹿と付き合うと馬鹿になる。
まず自分が馬鹿じゃないという思い込みの上に成り立ってる言葉ですね。
そこが大きな間違いなのです。

学校の先生や、私たち親たちがよくやる間違い
「私がこれほど言ってるのに」「このくらいすぐやりなさい」よく言いませんか?
ついつい子どもたちを追い込んでしまい
あれが悪いこれが良くないと、自分のことは棚上げ理論です。

だれも気がついてくれない、自分のいる場所がない。
子どもたちの自殺が、そんな追い込まれた結果かもしれない
小学生の自殺なんて、誰だって死にたくないはずなのに、行く場所がないんです。

イエス様は誰を招いてるのでしょう
誰でもない、この私を招いているのではないでしょうか。
もういい加減気づけよと、お前が罪人なんだから悔い改めろよと。

マタイによる福音書11章28節
全て疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたを休ませてあげます。
必ずあなたの魂は平安を受けます。
「わたしのくびきは負いやすい」
守ることが難しい律法ではない、わたしの教えを守るのは容易い。


まず悔い改めて、神の前に祈ろうではありませんか。


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2019年7月18日木曜日

7月17日のメッセージは!「私のところに来なさい」です。

聖書 ルカによる福音書5章27節~32節

 この後、イエスは出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。
するとレビは、何もかも捨てて、立ち上がってイエスに従った。
そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大勢の人たちが食卓についていた。
すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」
そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」


先週はシモンペテロが弟子になった所でした。
次はレビという取税人が弟子になる場面ですが、

<イエスは出てきました。>
どこから?5章17節の場所だと思うのですが、そこはどこ?(^^;)
ある日イエスが教えておられた場所。瓦屋根で、そこを剥がして病人がイエスの前に降ろされた場所
大勢の人が集まっていて、パリサイ人や律法学者も座って聞いていた場所。
最初、神殿かな?と思いましたが、
18節に「何とかして家の中に」とあるので家です。しかも結構大きな家でしょう。

そして、収税所に座っていたレビさんに「わたしについて来なさい」と言われただけで、何もかも捨てたレビさん
彼もまた大きな家に住んでるらしく、同僚や大勢の人を呼んでイエスのために宴会を開いています。
レビさんはきっと、相当イエス様について行きたかった(弟子になりたかった)のだろうな~

でも踏ん切りがつかなかったのか、自分の立場は他の人から見下されている
自分のようなものには、声はかからないだろうと思っていた。
としたら、つじつまが合うような気がします。

さて今日も大活躍なのが、律法学者とパリサイ人
いいタイミングでつぶやいています
イエスの弟子たちに向かって「なぜ取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」と言います

ここですね レビさんたち取税人は罪人どもと一緒なんですね

そう弟子たちに向かって文句を言ったのに、イエス様が答えちゃいます
なぜでしょう!もうすでに弟子たちはどんちゃん騒ぎの真っ最中(笑)


本当か?ん~答えは今度の日曜日!

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2019年7月16日火曜日

「名前ってステキだな」

教会学校より「名前ってステキだな」

一つ質問しますね
あなたにとって「光」とはなんですか?
「光」と聞いて何を思い浮かべるでしょう。

明るい、暑い!そうですね、これから夏が来るので暑いですね。
ホタル?小さな光ですね。

さて、今日はイエス様の弟子について少し学びます。
イエス様にはたくさんのお弟子さんがいました。
その中から特に選び出したのが12人のお弟子さん。
イエスの弟子といえばこの12人のことです。

ちょっと聞き慣れない難しい名前ですが聞いてください。
(マタイ10章1~4節)
ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ。
ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ
ヤコブ、タダイ、シモン、イスカリオテユダ。

なぜイエス様は、これらの弟子を選んだかというと
彼らに、自分のやっている仕事を手伝ってもらうために選んだのです。
仕事というのは、神様の言葉を伝えたり、
悪魔を追い出したり、病気を治すために選んだのです。

今日教会学校に来ているお友達にも名前が付いていますね
みんなステキな名前です。

イエス様の弟子はイエス様が選んだ様に、
今日ここに来ている皆さんも、実は神様に選ばれた人たちなんです。
自分できたんだよ。という人もいるでしょうけど、
それもイエス様があなたを選ばないと、ここに来る事もなかったのです。

なぜあなたが選ばれたのでしょう
実は、弟子たちにもしてもらった様に、
イエス様の仕事を手伝ってもらうためなのです。
悪魔を追い出したりして欲しいなんて、言っているのではありません^^

それは、例えば
一人ぼっちでつまらなそうにしている友達がいたとしたら、
ちょっと声をかけてあげる。
それだけでも、その人は、
つまらなかった気持ちが、嬉しい気持ちになるでしょう?
真っ暗な中で光ってる、小さな小さなホタルの様な出来事かもしれない
でも、ぼっちでいる人にとってはどう思うでしょう。

ホタルの様な小さな光でも、それがなかったら真っ暗なのです。
時には、光り続けなければならない時もある。
そのことで、辛いこともあるかも知れない
でもその光を待ってる人が、必ずいるのです。

やがてあなた方は、力強い光になる。
あなたが神様に選んでもらったこと
そして、小さな光を頂いていることを大切にし、神様にありがとうと祈りましょう。


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岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
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聖日礼拝「神の力の可能性」

 ルカによる福音書5章の4節~7節、ペテロの魚獲りの話です。
もう何度読み返したでしょうか、でも私の場合はずっと棒読みだったのですね。
今日はもう一度あらためてこの箇所を学びたいと思います。

 場所はゲネサレ湖という大きなみずうみ
岸辺に立っておられるイエス様に、その話を聞こうと群衆が押し寄せてきました。
ふと目をやると、小舟が2そうありました。
ちょうど漁師たちが沖から帰ってきて、網の手入れをしていましたので
船の持ち主(シモン)に頼んで陸から少し漕ぎ出してもらい、そこで座って教えていました。

 一通り話が済むと、イエス様はシモンに
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」と言われました。
シモンは根っからの漁師でしたが、昨夜はちっとも漁にならなかったのです

そこで「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ取れませんでした。でもおことば通り、網をおろしてみましょう」
そしてその通りにすると、網が破けそうになる程たくさん魚が取れ、1そうではとても上がりそうに無いので、仲間の船を呼んで助けてもらいましたが、もう2そうとも沈みそうになる程でした。

8節 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足元にひれ伏して「主よ。私のようなものから離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言いました。

 さて、シモンはこの時イエス様の弟子だったのでしょうか
イエス様に背を向けて自分の仕事をしていたのですから、それほどイエス様に興味はなかったのかも知れません。
でもイエス様を先生と見ているからこそ、網の繕いも途中で船に乗せたのでしょう。
もしかしたら、イエス様が船の上で教えてる最中も
網の手入れをしてたのかもしれません。

そんな夜通し働いていたプロの漁師に、
魚獲りでは素人のイエス様が、「もう一度網を入れて魚を取りなさい」と言うのです。
あなたのゴタクに付き合って船に乗せ、やっと手入れが終わった網をまた使わせるのか!
魚なんていやしないんだ。心の中でそう思ったかどうか知れませんが、明らかに面白く無い態度だったらしいです。
渋々随うと、なんといまにも網が破けるほどの大漁に見舞われます。

驚いたペテロは、今まで「先生」と呼んでいたのが「主よ」と呼び方が変わります。
先生とは、学校の先生や、習字の先生、お茶やお花の先生と一緒です。
「主よ」とは、「神よ!」ぐらいの勢いですね、自分の間違い、失礼な態度全てが逆転してしまった瞬間です。
まさにこの時シモン・ペテロは本当の意味でイエス様の弟子になるのですね。

 恥ずかしいことですが、私も以前そういう失敗がありました。
池袋の駅前で、太鼓やタンバリンを持って伝道していた時のことです。
ある寒い、吹きっさらしの晩に、仲間と伝道にでかけたのですが

「こんな寒い日に話を聞くわけが無い!でるだけ無駄」と
口では言えませんがそう思いました。
でも仲間や牧師先生の手前、嚙み殺して伝道したのです。
するとどうでしょう、今まで見たことも無い大勢の人が集まったのです。
そんな自分が情けないというか、恥ずかしくてたまりませんでした。

 みなさん、奇跡とはこう言う事なのです。
常識ではありえない、非常識な事が起きてしまうのです。

今の世の中を見てみると
本当に大変な世の中になって、仕事がなくて
これからどうやって生きていくのか、まったく見えない人ばかりです。

みんな大変な思いをして、夜通し働いてるのに、まったく魚が獲れないのです。
そして私たちは、明日は捕れるかもしれない魚のために、網をなおさなきゃ無い
そんな時こそイエスに背を向けたままではいけないのです。

「イエスに従ってこそ」
もう漁の時間をとっくに過ぎているのに、いるはずの無い魚が大量に捕れる
通常なら破れてしまいそうな網や、さらに仲間の船さえ沈みそうになるが持ちこたえる。
今奇跡が、あなたに起ころうとしているのです。

詩篇62:5
ほむべきかな 日々、私たちの為に重荷を になわれる主
私たちの救いであられる 神。

いまこそ私たちは主に向かい、主に叫び求めようではありませんか。
主に信頼し、主に依り頼み

神の力の可能性を待ち望みましょうではありませんか。

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2019年7月13日土曜日

教会学校始まるよ!

 岐阜きょうかいでは、あした9時50分から教会学校があります。
せいしょのお話やふくわじゅつをしますよ!

 それから、工作のじかんもあります。
毛糸の「マスコットゆびにんぎょう」を作ります!
みんな来てね(^^)



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2019年7月10日水曜日

7月14日のメッセージは「神の力の可能性」です

 ここ何日か曇りの日が多くて、寒いと感じる夜もありましたが
ちょっと日が差すと、もうすぐそこに夏が来ている感じがします。
7月14日のメッセージは
聖書:ルカによる複音所5章4節〜7節
奨励:「神の力の可能性」

 話が終わると、シモンに、
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
するとシモンが答えて言った。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。

「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
この時シモン・ペテロイエスの弟子になりました。

剣で、大祭司のしもべに斬りかかり、イエスを知らないと3度も言ったペテロ
イエスが十字架で死ぬと「私は漁に行く。」と船に乗ってしまう。
彼の心中は・・・これは、ヨハネによる福音書です。

みなさんも聖書を読みましょう!
またまた日曜日が待ち遠しいですね^^
では、教会でお会いしましょう。


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2019年7月8日月曜日

目が不自由だったバルテマイさんの話

イエス様と弟子たちが、ガリラヤからエルサレムに向かう途中の、小さなお話です。

ー聖書ーイエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出られると、
テマイの子のバルテマイという盲人の物乞いが、道ばたにすわっていた。

今日はこのバルテマイさんのお話です。
彼は、盲人で物乞いでした。物乞いというのは乞食のことですね。
エリコというとても大きな街の片隅に、乞食をしていたバルテマイさん。
テマイの子、バルテマイと書かれていることからテマイ家の息子さんと想像されます。

当時のユダヤでは、盲人は虐げられていました。
彼は生まれたときから盲人ではなかったそうです。
途中から見えなくなり、仕事もできなくなりました。
律法では盲人は物乞いをしなければならなかったそうです。
彼にとっては、もうどん底のような生活だったのでしょう。

そんなある日、エリコの街が騒ぎ立ちます。
「ナザレのイエスが来た」と知らされると、バルテマイさんはびっくりしました
「それはダビデの子イエス・キリストのことじゃないか!」

イエスの名前は、数々の奇跡によって多くの人の支持を得ていましたが
「ナザレ」とは土地の名前で、「田舎者のイエス」というニュアンスもあります

一方、バルテマイさんの認識は
「ダビデの子」=イスラエルの王族の子孫で、虐げられたイスラエルを復興させる方
「聖書に予言されている、力ある王族のご子息がこの街にいらした」
そのような認識と同時に、そのくらいの豊富な聖書知識があったと思われます。

目が見えなくなってしまった自分にとって、またと無いチャンスが来たのです。
「ダビデの子よ、イエスよ私を憐れんでください」かれは力の限り叫びました
すると群衆はたしなめました。あまりにも叫び続けるので、今度は彼を取り押さえました。
それでも彼は声の限りに叫びます
「ダビデの子よ、私を憐れんでください!」

もみくちゃになってる人々を見たイエスは
その叫び声を聞いたのでしょう
「彼を私のところに連れてきなさい」と命令します。

取り押さえていた人々は「よかったな、さあ立ちなさい、あなたをお呼びになっている」
するとバルテマイさんは上着を脱ぎ捨ててイエスのところに行きました。
イエスは「私に何をして欲しいのか」と聞くと
「主よ、見えるようになることです」と答えました。
するとイエスは「さあ、行きなさいあなたの信仰があなたを救った」
その途端彼の目が見えるようになりました!
彼は大喜びで、イエスの行くところについていきました。

あっさりと書きましたが
物乞いのバルテマイさんにとって脱ぎ捨てた上着は、彼の持ってる全財産でした。
全財産を捨ててイエスのもとに立ち上がった彼の望みは
幸せになることでも、金持ちになることでもなかったのです
「ただ見えるようになりたいのです」
そして、見えるようになったバルテマイさん

でも、これだけの話で、聖書の中に名前が記されたのはどういうことでしょう
道ばたに座っている盲人の物乞いだけでもよかったはずです。

彼は「イエスの行くところについていった。」
生涯を主に仕える弟子になったということなのです。

盲人の物乞いであったバルテマイさん
後に初代教会キリスト教会のリーダー的存在になっていきます。

「イエスを信じる」ということは生きがいであり、まさに希望の回復なのです。


奨励:「希望に向かって」
聖書:マルコによる福音書10章46節~52節
澁澤道忠牧師

2019年7月4日木曜日

7月7日のメッセージは「希望に向かって」です

聖書はマルコによる福音書10章46節〜52節
キーワードは「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

 彼らはエリコに来た。 
イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、 
テマイの子のバルテマイという盲人の物乞いが、道端に座っていた。 

ところが、ナザレのイエスだと聞くと、 
「ダビデの子イエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。 
そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、 
彼はますます 
「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。 

すると、イエスは立ち止まって、 
「あの人を呼んできなさい」と言われた。 
そこで彼らはその盲人を呼び、 
「心配しないでよい。あなたをお呼びになっている」と言った。 

すると盲人は、上着を脱ぎ棄て、 
すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。 
そこでイエスは、さらにこう言われた。 
「わたしに何をしてほしいのか。」 
すると、盲人は言った 
「先生。目が見えるようになることです。」 
するとイエスは、彼に言われた。 
「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」 
すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所についていった。 

イエスさま達が、エルサレムに向かう途中、エリコという街に来ました。
エリコはモーセの時代に、みんなでいっせいにラッパを吹いて崩しちゃった街。

ルカによる福音書では、エリコの街に入る途中で盲人にであい
さらにザアカイさんに招かれたのは、この後です。
でも、この日の準主役は、道端でしょんぼりしていた目の不自由な人。

街が騒がしいので「何かあるのですか?」と通っているひとに聞くと
イエスさまがこの街に来るという
さあ大変だ、あちこちで奇跡を起こしているイエスさまが、もう間もなくこの辺を通る
できる事なら、こっそり近づいて着物のふさにでも触れたら、
「この目が見える様になる。」

こうなったら叫ぶしかない
「ダビデの子よ。私をあわれんでください」 
「ダビデの子よ。私をあわれんでください、わたしはここにいます」 
「ダビデの子よ。」 
と叫び始めました、でもイエス様はどの方向に居るのかわからない 
だいたいこっちの方角かな?という方向に向かって
とにかく叫びまくります 


彼が、最初に見たものはなんだったのでしょう 
わたしは手だと思います。 
必死で、見えないイエス様に届けと、伸ばした手 
わたしの目が見えるようになることですと言ってその目を覆った手 
うすぼんやりと見え始めた私の手には、やはり指があり 

その向こうで私を見ているのがダビデの子 いける神の子キリストです。 

もうなんでしょう、大好きなシーンですが

さらにもう一個だけ言わせてください!
ここに描かれている、イエスさまの言葉がたまりません。
「さあ行きなさい」じゃなく「さあ、行きなさい。」

奨励は「希望に向かって」日曜日が待ち遠しいですね!
では教会に、「さあ、行きましょう^^」

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午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
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