2019年10月26日土曜日

来週のメッセージはヨハネによる福音書1章34節〜42節

ヨハネによる福音書135節~42
「来なさい。そうすればわかります。」

 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
イエスが歩いていかれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。

 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。
「あなたがたは何を求めているのですか。」
彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊りですか。」
イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」
そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。
そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。

 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちひとりは、
シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
彼らはまず自分の兄弟シモンを見つけて、
「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。
彼はシモンをイエスのもとに連れてきた。
イエスはシモンに目を留めて言われた。
「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」

冒頭の洗礼者ヨハネのふたりの弟子は
シモン・ペテロの兄弟アンデレと、ヨハネによる福音書の著者ヨハネ。
彼らがイエス様のところについて行って、一泊したのですか?
そして、アンデレの兄弟シモン・ペテロにもキリストを伝え
ペテロをイエス様に出会わせた。
というお話ですが、ストーリーが他の福音書とちょっと違いますね!
マタイによる福音書4章18節
イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
イエスは彼らに言われた「わたしについて来なさい。あなた方を人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨てて従った。

そして微妙な共通点もあります。
どうなんでしょう
「来なさい。そうすればわかります。」
ん?教会に来なさい。そうすればわかります!?
そういう事?(笑)

2019年10月25日金曜日

「わたしが道です」ヨハネによる福音書14章1節

今日はヨハネによる福音書141節からのお話です。

イエス様が十字架に掛かる前に、弟子たちに話された大切なところです

心配したりイライラしないで下さいね(心を騒がしてはなりません)
これから皆さんとはしばらく会えません
天国に行って準備をしてまた、皆さんのところに帰ってきます
その時を皆さんで仲良く待っていて下さいね。
と、言うような内容のことを弟子たちに話されます

ところが弟子たちは、イエス様が何を言ってるのか理解できません

弟子のトマスはほとんどパニックです
「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。」
トマスだけでなくみんなそう思ったに違いありません

そこでイエス様はみんなに言われました
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」

ここで言われた、道、真理、いのち。これらはとても大切な言葉ですが
ちょっと理解しにくいところですね(^^;)

例えばその言葉に「イエス様は私の」と言う一文を入れるとどうでしょう
イエス様は私の道です
イエス様は私の真理です
イエス様は私の命です
すこし分かりやすくなりませんか?

現実的な信仰と体験的な信仰

ペテロやトマス、弟子たちの信仰が
頭で理解する信仰であったために起こるギャップ
それを超えるには体験的な信仰が大切なのです。
生活の中に生きている信仰は、先週のメッセージ
「神の国とその義を求めよ」にも有るように
一切の問題を主に委ねることが大切なのですね

主によって私たちは義とされる
言い換えれば、主によらなければ義とされない。

そういう事になるのではないでしょうか。



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毎週日曜日
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2019年10月17日木曜日

来週のメッセージはヨハネによる福音書14章1節~6節

「わたしが道です」ヨハネによる福音書141節~6


「あなた方は心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしの行く道はあなたがたも知っています。」

トマスはイエスに言った。
「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。
どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。
しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

来週のメッセージはここからです。
まるで、映画のセリフのようなかっこいい言い回し
英語でいうとI am the way, からthe truth, and the life.と続きます。

「わたしが道です(I am the way)」イエス様って道なの?
いやいや、イエス様は道路じゃないです
救いに至る道はイエス様しかない。という意味のthe way
 the truththe lifeも同じように、これだけが本当 イエス様だけが命(生きること)
深く考えると難しくなっちゃいます

さて聖日礼拝のメッセージではどのような解き明かしになるのでしょうか
ドキドキ・ワクワクです(^^)

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「まず 神の国を求めよ」マタイ6章31節~34節 聖日礼拝

奨励「まず 神の国を求めよ」マタイ631節~34


お話のタイトルは「神の国を求めよ」としていますが「神の国とその義を求めよ」です。
631節から34節を大まかに説明すると
ちょっと強引ですが、何も心配するな。と言うことになります。

基本的に人間は心配する生き物ですね

今日のご飯どうしようから始まって、ローンの支払や学生だったら宿題やテスト 進路も気がかりでしょう。
聖書はばっさり言います 「そのような事で思い煩うな」
神様は心を砕いて心配してくれている だから神を信頼しなさい。

開き直りなさいとは、ちょっと違いますよ?
宿題は期限内に提出したり、献立は家族のためにも考えて下さい。
それら諸問題の前に、神様を信頼しまず第一にしなさいという事です。

神の国とその義を求めよ


一粒の種は地に落ちなければ実を結ぶことがない。

平和を作り出す人、互いに愛し合う人 そのような人たちは神の国を作り出す人です。
神の義とはなんでしょうか 信仰のポイントになる所です。
アブラハムは、神の命令によってその独り子を生贄として捧げる
その信仰による行動によって義とされました。

永遠の命を得るために私は何をしたら良いでしょうか
イエス様は答えました
すべての財産を捨てて貧しい人に分け与えなさい。
(ルカによる福音書1818節)
もし彼がイエス様の言葉を信じて全てを捨てたのなら
その行動によって義とされるでしょう。
結果彼の受ける祝福は、必要としているもの全てが与えらる。
と聖書に書いてあります。

さて、私たちは全てを捨てることが出来るでしょうか
家や車、貯金や財産と呼べるもの
しいては、両親や妻や夫 家族と呼ばれる子どもたちまで

非常に難しいことでしょう
でもまず一切の問題を全て委ね、神様を第一にしてみましょう
その時必要なものは全て与えられます。



でもそれは、ラクダが針の穴を通るくらい難しいことなんだと、イエス様が言ってます。

出来ますか?私には出来ません(笑)
私もまた、自分のちっぽけな財産を握りしめ背中を丸める者です。
偉そうなことを言いつつ、こんな事も出来ない小さな者です。
情けないですね。
こんな私でもイエス様は愛して下さるでしょうか
実は、こんな私でも主は私のためにその命をかけてくださいました。
確信は有るのかと問われたら、ためらわず「はい」と言います。

いつか私は針の穴を通り抜けようと思っています。
実現するかどうかは主の御心しだいですが

とにかくその日までイエス様の十字架にすがって行くのです(笑)

2019年10月11日金曜日

次週のメッセージは「まず神の国を求めよ」です

マタイによる福音書631節~34

そういうわけだから、
何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、
などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、
それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、
神の国とその義をまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、
あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。
苦労はその日その日に、十分あります。

聖書が手元にある方は、開いてみるとわかることですが
前の5章からイエス様のお話がずーっと続いてます
さらに7章に入って27節まで続きます。
28節になって、群衆はその教えに驚いたとあります。

長いから驚いたのではなく、権威あるものの教え方のようだったのですね。

さておき!奨励は「まず神の国を求めよ」です
では「神の国」とはなんでしょう。
神は愛なり このあたりからのメッセージでしょうか
ちょっとワクワクしてきますね!

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2019年10月9日水曜日

「あなた方は私の友です」ルカによる福音書18章24節~30節

ルカによる福音書1818節では、このようなお話でした。


あるお金持ち(英語ではベリーリッチ)がイエスさまの所に来ました。
どれだけお金持ちかというと、人生のあらゆる問題はお金で解決できる人
凄いですね(^^)
いやらしい話ですが、友情も愛さえもお金で買えちゃう。
でもただ一つだけ買えないもの それは自分の命でした。

彼はイエス様にたづねます
「先生、永遠の命を得るためにはどうしたらいいですか」
自分の財産をすべて貧しい人に施しなさいと言われた彼は
寂しそうに去って行きました。

今日のメッセージはルカによる福音書1824節~30節です


それを見送ったイエス様も同様に寂しかったのですね
富める人が救われるのは、ラクダが針の穴を通るより難しい。
とおっしゃっています。

人は自分の努力では命を保てないのです
永遠の命、天国に入る事もとても人間の力ではできません
それじゃあ誰が救われるのか

「人にできないことが、神にはできる」
イエス・キリストによらなければ誰も救われないのです。

29
「まことに、あなたがたに告げます。
神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、
だれひとりとして、
30節
この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、
後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」

ここはちょっとむつかしい言い回しですね
「家や家族を捨てる」と書いてますが、まず神を一番としてと言う意味です。
神様を第一にした人は、この世での祝福はもちろん
次の世に行った後も、天国で永遠の命を受ける。
そうならない人はいません。


こうイエス様は約束してくださっています。

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2019年10月3日木曜日

次週のメッセージはルカによる福音書18章24節~30節

ルカによる福音書1824節~30

奨励「あなた方は私の友です」


イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」
イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、
この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」

来週のメッセージはここからです。
むかし私がまだ小学生の頃だったと思います。
象牙かな?小さならくだを掘り、針の穴を通している写真を見た事がありますが
作った人なのでしょう満面の笑みで針の穴に通していて
なんか気持ちはわからなくもないですが「ばかだな~」と思った事があります。

あ、そういう話では無かったですね!
程度の差はあれお恥ずかしい限りです(^^;)

謹んで祈りつつメッセージをお待ちしましょう。

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2019年10月2日水曜日

「どう生きるのか」マタイによる福音書11章7節〜10節

今日のメッセージは「すべての事に感謝しなさい」でしたが
元々の奨励「どう生きるのか」についてのお話になりました。

聖書はマタイによる福音書11章7節~10節です。
この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。
この時バプテスマのヨハネは獄中にいました。

ヨハネは偉大な預言者でしたが、人間でした。
ヨハネはイエス様の事を「見よ神の小羊」とよんだり
「火と聖霊のバプテスマを授ける方」と証言していますが
イスラエルを導く人間としての王の姿を見ていたのかもしれません。

投獄され、聞かされるイエス様の噂はとても自分の思う姿ではなかった
「神は愛なり」とか「汝の敵を愛せよ」など、どう考えても違う。

ここから今日のメッセージは始まります。

イエス様はヨハネの弟子たちが帰った後、
ヨハネについて話されたのですが、私たち人間に話された事でもあります。

私たちは何をしに生まれて来たのでしょう
私たちは何を目的に生きているのでしょう
大自然の景色は素晴らしいものですが、それを眺めるためですか?
お金持ちになるためですか?有名人になるのが目標ですか?
それらは野に咲く花とおじなようです。
刈り取られ火で焼かれたら何一つ残らない。
そのような虚しい生き方を望んでいるのですか?
預言者を見るためですか?
神を受け入れイエスを神の子と信じ、
真理を求め、救いの道に入る事が大切ではないのでしょうか。

真理は聖書の中にあります

聖書の中には神の言葉が記されているのです。その一言一言を追い求める事
「わたしが道であり、真理であり、命である。」と聖書にあります。

あなたは何を求めるのでしょう
野に咲く花でしょうか。キリストによる救いでしょうか。

「私につまずかないものは幸いです」(マタイによる福音書116節)


イエス・キリストだけが真理に至る道だと知る事ができますよう
一緒に祈りましょう。



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