2020年1月31日金曜日

2月2日の礼拝はヨハネの福音書 14章1節~4節です

奨励:「あなたは一人ではない」

ヨハネの福音書 141節~4

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのおとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです。
わたしの行く道はあなたがたも知っています。」

日曜日の聖書はヨハネの福音書からこの箇所です。
人は時々一人になります。
誰かが近くにいても、孤独感を感じることすらあります。
聖書の中ではイエス様が、そのような人に寄り添ってくれる言葉がたくさんあります。
きっと孤独感を感じている方は、今も昔も大勢居るのですね。
わたしもそんな一人でした。
友だちと遊んで楽しかったのに、なにか寂しい。
部屋に帰ると誰もいなかったり もっとも一人暮らしの時期ですが(笑)
ついには人と会うのが面倒になって、一人で居るのが苦でなくなったりもします。

わたしは、ある時無性に寂しくなって、教会に行きました。
教会の中に入るのは、紆余曲折ありましたよ!
めんどくさいんじゃないかとか、変な目で見られるのじゃないかとか。
やっと入ってみて・・・「やっぱり来なきゃよかった!」とか(笑)
でも結局わたしは、孤独だったのです。

聖書って、神様って目に見えないし、居るとそう思い込んでいるもの。
そんなふうに思われるかもしれませんが
私には、神様ってすぐ近くに感じることだったりします。
うまく言えませんが、神様は確かにわたしに言ってくれます
「わたしがあなたと共に居る」
耳には聞こえませんがね!

もしもあなたが、なんか寂しいとか、孤独を感じているのなら
教会に行ってみませんか?
礼拝とかやってたら必ず誰かいるし、歓迎してくれますから!
そういうの面倒だと感じたら、だまっていても全然OKですよ(^^)
大切なのは、あなたが一歩神様に近づくこと。
すると神様が一歩あなたに近づいてくれます。
その距離がどんどん近づくことを心から祈っています。

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岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
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2020年1月26日日曜日

1月26日の礼拝はヨハネの福音書6章34節~39節です


奨励「わたしがいのちのパンです」

ヨハネの福音書634節~39

そこで彼らはイエスに言った。
「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」
イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して渇くことがありません。
しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、
わたしはあなたがたに言いました。
父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。
そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
わたしが天から下ってきたのは、自分のこころを行うためではなく、
わたしを遣わした方のみこころを行うためです。
わたしを遣わした方のみこころは、
わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、
ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。

詩篇 1079
まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。
keyword このパンを食べる者は永遠に生きます

明日の礼拝は、ヨハネによる福音書から「いのちのパン」のお話です。
イエス様は、食用のパンのことを言ったのではなく
教えのことをパンに例えたのですが、一般の人々にはわかりにくかったのです。
実は、正直言って私もこの場にいたら現実のパンのことだと思ってしまいそうです(笑)
もしもですよ?私がその場にたとします。
私は仕事がなくて、昨日から何も食べてない状態だとしたら?
目の前にいるのは、ちょっと前に5個のパンと2匹の魚を5000人に分け与えた
そんな奇跡を起こした神の子ですよ?
「おれにもパンをくれ!」って叫んでたかも・・・
冷静に考えたら、聖書の話をしているのだとわかるのかも知れませんが
悲しいかな私はこの程度です(^^;)

こんなくだらない話はこの辺で!
明日は日曜日。みなさんで聖書のお話を聞きましょう。
岐阜神愛キリスト教会の牧師、澁澤道忠先生は只今県病院に入院中です!
明日の礼拝はどうなっちゃうのでしょう(ドキドキ)

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2020年1月20日月曜日

「ヨブの忍耐」1月5日聖日礼拝より

奨励「ヨブの忍耐」

ヤコブ5章7節~11節

最後まで耐え忍ぶものは救われます。マタイによる福音書10章22節


旧約聖書にヨブという人が出てきます
彼の生き方から、私たちの生活を学んでいこうと思います。

ますヨブという人についてですが
聖書によると物凄く神様に祝福された人でした。
ある時、神様の前にサタンが来てヨブについて話します。
「彼が神を恐れるのはあなたが祝福されているからでしょう
財産がなくなったらあっさり裏切るでしょうね。」
そこで神様はサタンにヨブを試すことを許されます。


彼に災難が次々と降りかかります。

<旧約聖書のヨブ記113節以降>
財産はなくなり息子娘たちまで死んでしまいます
ところがヨブは神に失望したり、裏切ることはありません
それよりも、自分の存在を呪ったのです。
最後まで耐え忍んだヨブは、後に今までより多くの祝福を受けます。


さて、私たちにも我慢ならないようなことは次々に起こります
神様を信じているのに、ちゃんと献金しているのに
なにも悪いことをしてないのにどうして!
天罰が落ちたのでしょうか?
はたして天罰ということがあるでしょうか?

私たちの神様は正しいものを滅ぼすことはありません
むしろ「神は愛なり」と言うほどに、私たちを守ってくれるのが神様です。
私たちが、悩み、苦しみの中にある時に、
いつでも共にいて支えてくれるのが私たちの神様です。
<ただ、悪いものには容赦しないのも神様です。>

創世記にソドムという町が出てきます

その町の人たちが罪深すぎたので神様は町ごと滅ぼそうとします。
ところがアブラハムという人が神様と語ります
「もしその町に50人の正しい人がいたらその町を滅ぼすのでしょうか?」
神様はその50人のためにその町を滅ぼすのはやめようと言います。

アブラハムは交渉を続けます「50人に5人足りなかったら?」
神様は、その45人のために滅ぼすのはやめようと言います。

アブラハムには45人の正しい人がいる確信が持てず
40人30人20人と交渉を続け、最後には10人まで人数を減らすと
神様は「その10人のためにその町を滅ぼすのは止めよう」と言って立ち去ります。

神様に交渉するアブラハムもすごいですが
忍耐強いのはむしろ神様の方です。
主は、あわれみ深く、情け深い。
怒るのにおそく、恵み豊かである。
と詩篇103篇に書いてあります。
ソドムの町ですか?結局滅ぼされてしまいました(^^)

キーワードに、最後まで耐え忍ぶものは救われます。とあります
「耐え忍ぶ」・・・簡単にいうと
何があっても必ず救われると、神様を信じて、我慢して我慢して我慢するのです。
神様は必ず助けてださいます。
そう信じて今年一年そのような信仰を持っていきましょう!

このような文章を、忍耐強く読んでいただいた皆様に
神様の祝福が豊かに注がれることを、心よりお祈り申し上げます。






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2020年1月16日木曜日

「ステパノの殉教」1月1日礼拝より

「ステパノの殉教」

まずステパノという人についてちょっとだけ説明します
新約聖書の最初のほう。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書はイエス様のお話が書いてあります。
次にくる使徒の働き(使徒行伝)はイエス様が天に帰ってからの話が続いています。
その使徒の働きのなか、最初の方(6章)にステパノの名前が出てきます。
彼は最初の頃の教会で、熱心な働きをしていました。ところが各方面に敵を作ってしまい、ついには石打ちの刑で殺されてしまいます。ステパノはキリスト教史上最初の殉教者になってしまいました。
ステパノが民衆に石打ちの刑に処せられた時、サウロという青年が近くにいました。彼もステパノの刑には賛成していたのですが、サウロは後のパウロとなってイエス様の福音のため活躍する人物になっていきます。


「神の言葉を余すところなく伝えるためです。」

上記が今年の標語です
ただ、この部分だけですと意味がよく伝わらないので補足します
(コロサイ124節~25節)

24)ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
そして、キリストのからだのために、私の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
キリストのからだとは教会のことです。
25)私は、あなたがたのために神からゆだねられた勤めに従って、
教会に仕える者となりました。
神のことばを、余すところなく伝えるためです。

大切なのは、「キリストの苦しみの欠けたところ」です。ちょっと難しい日本語ですね。
あなたがたはキリストの名のもとに苦しめられる。とイエス様は時々言ってます。

イエス様は当時のユダヤ人から妬まれていました。
なぜでしょう。イエス様はぽっと出の若造でした
そのような者が、聖書には詳しいし、数々の奇跡も起こしてしまう。
だれも彼を言い負かす事が出来ない。我慢ならない存在だったのです
だから彼を十字架につけて殺したのです。すべては妬みから起こった行動でした。
そのキリストを信じた人々も同じ様に
ユダヤ人から憎まれたり妬まれてしまいました。(ステパノもその一人です)

では、なぜそういう苦しみを受ける時イエス様が直々に助けてくれないのだろう。
本当の神様だったらできるだろう。奇跡を起こしてみろ!自分を救え!
それは出来ません。
これが欠けたところです。殉教者に限らず、教会では様々な問題を抱えます。
お金が無い駐車場がない、病気や怪我をしてしまって礼拝に出られない(笑)

そういう欠けたところを、みんなで補っているのです。

何のためかというと、神の言葉を余すところなく伝えるためです。とつながるわけですね。
ですので、当教会の数々の悩み
それらは信徒である皆さんが犠牲を払って補っている
何のためでしょうか
教会のためキリスト、イエス様のため。
それは「神の言葉を余すところなく伝えるため。」です

みんなが伝道者じゃないです。
でもみなさんが欠けたるところを補う事によってキリストを証しする事になるのです。

今日が2020年元旦です
今年一年の標語は「神の言葉を余すところなく伝えるためです。」
キリストと主に歩くと決めたこの日を祝おうではありませんか!
今年一年がみなさんにとって良い年であることを祈ります。 



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2020年1月11日土曜日

112日の聖日礼拝は「幸せいっぱいの新年」 

マタイによる福音書5章3節~12節

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されいる者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

わたしのために人々があなたをののしり、迫害し、
ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

12日の礼拝は、この箇所です。
イエス様のお話で、これが中心と言っても、過言ではないのでしょうか。
メッセージのテーマは「幸せいっぱいの新年」
期待して聖日をお迎えしましょう^_^

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2020年1月7日火曜日

「すべての事に感謝せよ」マタイによる福音書25章19節~23節

2019年最後の礼拝です
マタイによる福音書2519節~23節から

「すべての事に感謝せよ」というテーマでお話します。


マタイによる福音書では、3人のしもべが出てきます
彼らの主人がたびに出る時、財産の一部を預けます
ある人は5タラント、ある人は2タラント、またある人は1タラントです。
2タラント5タラントを預かった人たちはそれぞれ、
そのお金を資本に仕事をします。
帰ってきた主人にそれらを報告すると
金額の多い少ないに関わらず「よくやった忠実なしもべよ」と褒められます。
彼らは小さなことに忠実だったので、
「更に多くの財産を管理させよう」と主人からの信頼を得ました。

タラントとは私たちに与えられた能力の事です

ある人には優秀な計算能力や発明だの開発に十分な能力が与えられています
またある人には、計算能力はないけど足がある、手がある。
そしてある人には、人を思いやる気持ちがある。など、色々な能力(タラント)があたえられています。

聖書には随所に「働く」が書かれています。

人は働く事が決められました
余談ですが、アダムとエバがエデンの園を追放された時から
人は額にあせして仕事をしなくてはならなくなりました。

働くことは神様に喜ばれることでもあります。
もっとも仕事の内容によっては駄目な場合もあります(笑)
それ以外でしたら、人はどんな仕事でもいいのです
ただ、仕事に対してとにかく一生懸命やること
世の中では結果が求められることが多いのですが、
聖書にはその過程が大切だと説いています。

例えば、テサロニケ人への手紙第1では(516節)

いつも喜んでいなさい。とあります

もし私たちが経営者だったとして、従業員を雇います。
もちろんその人の売上を評価して、それに見合う給料を支払います。
複数の従業員が居たとして、みんな同じだけの売上(結果)を出したとします。
その時の働く態度が、喜々として働いている人とふてくされて働いている人
結果は同じでも評価は前者の方ではないでしょうか
更に今後事業が発展した時
大きな事を任せる時に、経営者のあなたはどう考えるでしょう。

経営者の立場である神様は
結果はどうであれ喜んで仕事をしている人、サボらずにこつこつやる人
そのような人をもちいて、更に大きな事をお与えになるのです。

さて、福音書にはもうひとりのしもべがいました。
1タラントを預かった人です。
この人は事業が失敗するのを恐れて、預かった物を大事に隠しておきました。
主人が帰ってきた時そのままお返ししたのです。
すると主人は「なぜそれを銀行に預けなかったのか」と言います
預けていたら利子がついたのですね!

これらは仕事に限ったことではありません。
例えば勉強や家事にも同じことが当てはまります
いつでも喜んで勉強して、絶えず祈りながら掃除をして
すべての事に感謝できたのなら、それはなんと素敵な生き方ではないでしょうか?
与えられたタラントを活かすこと
それは神様が「よくやった、忠実なしもべよ」と喜ばれることです。


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2020年1月4日土曜日

1月5日 新年礼拝のご案内 ヤコブの手紙 5章7節~11節

奨励「ヨブの忍耐」


ヤコブの手紙 5章7節~11節
こういうわけですから、兄弟たち。
主が来られるときまで耐え忍びなさい。

見なさい。
農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。

兄弟たち
互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。
見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。
苦難と忍耐地については、兄弟たち、
主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。

見なさい。
耐え忍んだ人たちは幸いであると、私達は考えます。
あなたがたはヨブの忍耐のことを聞いています。
また、主が彼になさったことの結末を見たのです。

主は慈愛に富、あわれみに満ちておられる方だということです。

キーワード 最後まで耐え忍ぶものは救われます。マタイによる福音書10章22節

今年最初の聖日礼拝の聖書箇所は、ヤコブの手紙からです。
奨励は、ヨブの忍耐。
大きな魚に飲み込まれたのはヨナさんで、こちらはヨブさん。
ちょっと似ていますので間違わないように(^^)
旧約聖書に出てくる方で、「ヨブ記」に書かれています。

有名な言葉に
私は裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
というのを残しています。

ヨブ記のお話は、神様とサタンの会話が始まりますが、
壮絶なお話ですので、是非ご一読なされてはいかがでしょうか。

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2020年1月1日水曜日

「キリストの贈り物」マタイによる福音書2章19節~23節

奨励「キリストの贈り物」

マタイによる福音書219節~23

12月1日から、クリスマスに向けてのお話が続きました。
「幼子キリスト生まれる」8日「野原の羊飼い」15日「博士たちの訪問」
そして12月22日「キリストの贈り物」です。

ユダヤ人の王様ヘロデさんはユダヤ人じゃなかったのです
いわば雇われ王様?
そこに突然現れた東の国の博士たちが
「ユダヤ人の王様はどこに生まれますか?」
と聞いたものだから心中穏やかじゃありません。

馬小屋に生まれたイエス様のお話はみなさんご存知の通りです。
小さな村の飼い葉桶のなかで、赤ちゃんイエス様は生まれました。

「キリストの贈り物」

イエス様のプレゼントってなんでしょう?

クリスマスには様々なプレゼントが飛び交いますね(^^)
ケーキやローストチキン 指輪やシャンパン!
プレーステーション?(笑)

イエス様がこの世に生まれたのには、理由がありました。

最後に十字架にかけられ処刑されるためでした。
なぜ?それは、私達の罪のために処刑されたのです。

もし私達が罪のままでこの世を終わらせたらどうなるでしょう

聖書には永遠に燃え続ける火の中に投げ込まれると書いてあります
でもイエス様が私達の身代わりになって、十字架で苦しんだこと
それを信じるのなら、私達の罪は許されるのです。
そしてイエス様は処刑されて後、3日めによみがえったこと
神の子キリストだということを信じるのなら
私達の罪は許されて、永遠の生命に与ることが出来ます。

ちょっと端折りますが、マタイによる福音書の5章に
「心の貧しい人は幸いです。悲しむ者は幸いです。」と書いてあります
辛くて悲しい時は、イエス様の事を信じることで終わる。

その始まりがクリスマスなのですね(^^)



聖書には、そんなイエス様のお話がたくさん乗ってます。
教会では、そのお話をわかりやすく教えてくれます。
あなたには、きっと幸せが訪れますように。
心をこめて「メリークリスマス」(^^)

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