2020年10月30日金曜日

11月1日の礼拝は「絶望を希望に向きを変え」です

 奨励「絶望を希望に向きを変え」

マタイの福音書 1426節~33


そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。

イエスは、弟子たちに言われた。

「あなたがたはみな、つまずきます。

『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。

しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

すると、ペテロがイエスに言った。

「たとい全部の者がつまづいても、私はつまづきません。」

イエスは彼に言われた。

「まことにあなたがたに告げます。

あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」

ペテロは力を込めて言い張った。

「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、

私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。

「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」

そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。

イエスは深く恐れもだえ始められた。


次回のお話は前回の続きのような箇所です。

ここでもまたペテロさんが取り上げられていますね(^^)

「私はつまづきません」と言った後

「たとい、ごいっしょに」の所は、力を込めて言った。と書いてあります

でもこの後はみなさんご存知のように、

弟子たちはイエスさまを置き去りにして逃げてしまいます。

でも正直言ってわたしだって逃げ出すと思います(^^;)

いやきっと、死んでも逃げませんってその時は本気で思っても

ま、中には本当に逃げない気合の入った人も居ますけど

普通は逃げますって(笑)






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岐阜神愛キリスト教会では

毎週日曜日

午前10時30分~聖日礼拝

毎月第2・第4日曜日

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2020年10月23日金曜日

10月25日の礼拝は「新しい生き方のカタチ」です。

 奨励「新しい生き方のカタチ」

ヨハネの福音書134節~7節、12節~15


134節~7

夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、

腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。

こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。

ペテロはイエスに言った。

「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」

イエスは答えて言われた。

「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」


12節~15

イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。

「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。

あなたがたがそう言うのはよい。

わたしはそのような者だからです。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、

あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、

わたしはあなたがたに模範を示したのです。


次回のお話は、「イエス様が弟子たちの足を洗った」と言うお話。

さてどうしましょう!もし私がその場に居合わせたとしたら

順番にイエス様が足を洗っている、

自分の番に来たら「ちょっと待ってください」と言えるのでしょうか

聖書にはかろうじてペテロだけが「ちょっと待ってください」的なことを言っています。

きっとみんなあっけにとられて何も言えなかったのでしょうか


足を洗う。この習慣はわたし達にはありませんが

もし会社の上司が、もし学校の先生が、あなたやわたしが脱いだ靴を揃えていたら

ビックリしますよね!

わたしはイエス様の模範をやれるでしょうか

正直に言います。出来ません(^^;)

きっと「ちゃんと脱いだ靴は並べろ!」とか文句言うでしょう


マタイの23章でイエス様は

「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。」

と言っています。

仕えるって今まで「そっか~」と、その程度に思っていましたが

人の足を洗うほど仕えるって事なのですね・・・

わたくしまだまだです(笑)





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2020年10月16日金曜日

10月18日の礼拝は 「最良のものを与える神」です

 「最良のものを与える神」

ルカの福音書111節~13


さて、イエスはある所で祈っておられた。

その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。

「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」

そこでイエスは、彼らに言われた。

「祈るときには、こう言いなさい。

『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。

私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。

私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。

私たちを試みに会わせないでください。』」


また、イエスはこう言われた。

「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、

真夜中にその人のところに行き、

『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』

と言ったとします。

すると、彼は家の中からこう答えます。

『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。

起きて、何かをやることはできない。』

 あなたがたに言いますが、

彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、

あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。


わたしは、あなたがたに言います。

求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、

魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。 

卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。 

してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、

自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、

どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。

そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。



「求めなさい。そうすれば与えられます。」

わたしが初めて覚えたのはこの御言葉だったかも知れません。

日曜学校のせんせいに、「何でもいいの(求めても)?」と質問すると、

せんせいは「いいよ」と言いましたが、何を祈っても叶った事はありません。

わたしが何を願ったのか?今となってはとても恥ずかしくて言えません。

むしろ願いが叶わなくて良かった。

もしかしたらサソリや蛇を求めていた?そんな祈りでした(笑)

わたしが神さまから頂いたものは、そんな素敵な子供時代と幸せな今です。





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2020年10月9日金曜日

10月11日の礼拝は「シンプルで聖い人生」です

 「シンプルで聖い人生」

ルカの福音書1213節~21



群衆の中のひとりが、

「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。

すると彼に言われた。

「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」

そして人々に言われた。

「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。

なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」


それから人々にたとえを話された。

「ある金持ちの畑が豊作であった。 

そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。

『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

そして言った。

『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、

穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。

「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。

さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』


しかし神は彼に言われた。

『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。

そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」


次回のお話は「シンプルで聖い人生」

えっと・・・読めます?よね(^^;)

お恥ずかしながら「聖い」読めませんでした(笑)

「きよい」と読みます。

パソコンで打とうと思ったら、私のパソコンもその言葉を知らなかったらしく

kiyoiでは変換出来ませんでした。仕方なく聖書seisyoと打って書を消して・・・


とまぁ読めなかったついでに意味も調べてみると

聖・訓読み「ひじり」音読でショウ、セイ

意味合いは、知徳に優れた道理に明るい人。ん?

美しい。汚れの無い。賢い。(こっちは分かりやすいです)

ちなみに、耳、口、王の3っつに分かれまして、

神様のお告げを聞いている人の形だそうです。

優等生の事ですね!

ウンウンなるほど読めないわけは、私にはちょっと遠い存在でした~ザンネン!


でもですね、このイエス様のたとえ話は少しわかります。

前にイエス様が言われた「富のある所にあなたの心もある」と言う事ですよね。

地上のものは結局失ってしまうもの

そのようなものではなく、いつまでも無くならないものを第一とする

聖日礼拝はそんな大切な日なんですね(^^)

あ!聖日(せいじつ)聖にはそんな意味合いがあるのでしょうね。




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2020年10月2日金曜日

10月最初の礼拝は「大きな父の愛」です。

 奨励「大きな父の愛」

聖書 ルカの福音書1511節~32


またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、

『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。

そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。


何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。


しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。

『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。

それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

立って、父のところに行って、こう言おう。

「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』


こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。

ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、

かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。

『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。

『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。

それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』


ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、しもべは言った。

『弟さんがお帰りになったのです。

無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。

『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。

その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。

それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、

肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

父は彼に言った。

『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。

いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」


次回のお話は「放蕩息子」のお話。

もうこれと言って説明するような事ではありませんね^^

お金持ちの家の子ども達の、弟が父から財産を分けてもらい、それを遊びに使い果たして窮困し

困った挙げ句家に戻ると、父親が暖かく迎えてくれる。

このお話は私にとって、弟の立場から見て感動していました。

私も、ろくでもない事をして神さまのところに帰ってきたとき暖かく迎えてくれる。

でもこの年になって思うのは、実は私は兄の立場なのではないだろうかと

弟の(誰かの)赦されるさまを見て、はたして納得できるのか

父と同じ気持ちになって一緒に喜ぶことができるのか。

恥ずかしながら私はそんなに素直ではありません・・・(^^;)

本当に、このサイト 教会の案内を書いて、偉そうなことを時々吐くこの私は

このようなものです・・・面目ない(^^;)

はい。ではじゅうぶんにへこんだところで日曜日に教会でお会いしましょう!






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 ブログを引っ越しました。 https://ameblo.jp/gifu-shin-ai-church/