それでは感謝してお証しさせていただきます。
自分が生まれたのは、両親がクリスチャンの家庭に生まれたのですけれど
信仰を持つ事が、なかなかありませんでした。
そのあと神様に導かれて、岐阜の教会に通いました
でもそのあとで仏教、兄弟が仏教に熱心でしたので、そちらに行きました。
いつも私の心には、理屈ばかりがあって
神様の事を受け入れる事ができませんでした
そのあと神様の恵みによってこの教会に導かれ
礼拝に出席して、聖会にも出席させていただきました
でもその聖会に出席していても、私の心の中にはやはり理屈ばかりがあって
神様がいるのなら、どうしてこんな悲しい事がいっぱいおこるのだと
理詰めの信仰というか姿勢でした
今日は受霊の体験ということなのですけれど
私の場合は、この時がはっきり受霊をした時だというのがありません。
ある意味では、受霊してないのかも知れません。
ただ私がはっきりしているのは
聖会に出席させていただいても、心から賛美する事ができなかったのです
皆さんが賛美していても、自分の心の中では、なんかもやもやしていて
でも先生とかに祈っていただいて、自分でも必死で祈って
その時神様を、心から賛美することができました!
「かみさまありがとうございます!」って自分でも初めての体験でした。
今まで手を上げる事ができなかったけど、
ほんとに手を上げて「かみさまありがとうございます」と
自分の心が すうっと本当に満たされて、本当に神様に救われて
今まで神様に導かれてここまでこれたんだという事
異言で語る事は、ぼくできないんですけど
それ以降、心から神様に感謝できるようになった事
そういう事ができるになったのは恵みで
それが私の受霊体験だったのかと思います。
そして、今も理屈っぽいのは変わらないのですけど、
神様がいつも助けてくださる事
感謝して祈る時にも「かみさまありがとうございます」って
素直に祈る事ができるようになった事を、感謝しています。
これからもイエス様に繋がって
ずっと信仰生活を死ぬまで全うしたいと思います。
感謝します。
Mさんのお証しでした
受霊の体験というテーマでしたが「キリストとの出会い」に入れさせていただきました。
Mさんは 三人の大学生の子供を持つ一家の長として平凡な家庭を営んでいます。
Mさんのお証しでした
受霊の体験というテーマでしたが「キリストとの出会い」に入れさせていただきました。
Mさんは 三人の大学生の子供を持つ一家の長として平凡な家庭を営んでいます。
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