2019年6月26日水曜日

奨励「弁護者キリスト」からチビのザアカイ

ハレルヤ主の御名を賛美します。
23日の礼拝はとても恵まれた礼拝でした。
その礼拝の告知といいますか、わたしが来週のメッセージは!
なんて書いていた文章が幼稚で幼稚で
ん~まあ、過ぎたことは仕方がないとして(^^;)

メッセージの内容は次の通りでした
奨励「弁護者キリスト」第一ヨハネ 2章1~6節

まずなぜ「私の子どもたち。と呼びかけているのかと言うところからでした。
このヨハネはイエスの12弟子の一人、当時最年少のちょっとずれてる青年でした
弟子のうちでも、ことの外イエスはこの弟子を可愛がったそうです。

イエスは十字架にかかり甦り、私たちに聖霊を与え、天に昇りました
聖霊に満たされた弟子たちは、あるものは受難の道を辿りつつも
福音を宣べ伝えていきました。
当時の仲間はもうこの世にはいなくなり
最後の生き残りとなったヨハネは、
もはや手を上げて祈ることもやっとの老人
「汝ら互いに愛せよ」と一言しか言わなかったそうです

最年長のヨハネにとって
教会に集まってくるものたちはみな、こどもや孫のよう
だから「私の子どもたち」と語りかけるのですね。

実は「弁護者キリスト」というお話は、この1節に集約されてしまてっています
 私がこれらのことを書き送るのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです。
もし誰かが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。
義なるイエスキリストです。



ここからメッセージは、ヨハネ第一の手紙の教義としての内容から
ちょっと飛んでザアカイさんの話に移っていきます。
ただ、ザアカイさんの話ではなく、視点は弁護者からこの話を見ていくのです。
「なぜイエスはエリコにいるザアカイを知っていたのか」
まさに失われた人を探し、命を与えるためイエスはとりなしているのです。

そして、途中からザアカイさんの話になってしまいましたが
この話は何度聞いてもいいですね!
私は子どものころこの話を聞いて、
背が小さいとか、嫌われ者ザアカイさんがなぜか好きでした
いまでも聖書の中でザアカイさんは上位にいます

しかしメッセージの中ではちょっと違うザアカイさんの話
キリストがいきいきと描かれていたように感じました。

メッセージの最後は、このように語りました。

人は掟によって義とされるのではない、信仰によって救われるのです。
すなわちキリストの血によって救われたのです
どんなに不信仰な人であろろうと救いの中に入れてくださる

だからイエスは弁護士だというのです。


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