8月最後のメッセージは、マルコによる福音書4章1節から9節
「種を蒔く人」のたとえ話が礼拝で語られました。
良い地に蒔かれた種は、六十倍百倍の実を結ぶ。
蒔かれた種は、御言葉です。では、良い地とはなんでしょう?
私たちが蒔かれた地だとすると、私はとても良い地とは言えません。
では、どうやって私は良い地になるのでしょう。どうやって私を耕せばいいのでしょう。
聖書は言っています「聞く耳のあるものは聞きなさい」
どう言うことでしょう?
教会に行って、聖書の言葉に耳を傾けてください。
御言葉が光、御言葉が水、御言葉が大地の肥料となり、イエス様が私たちを耕してくれるのです。土塊が自らを耕すことはありません。主に任せて主を信頼しましょう。全て主の御手によって、私たちは作り変えられるのだと聖書に書いてあります。
(ピリピ人への手紙3章21節、第2コリント3章18節)
さて、では教会に行かなければ駄目なのでしょうか?
一人で御言葉に耳を傾ける。聖書を読んで、祈る。確かにそれは大事ですが、一番の近道は教会に行くことです。
教会での一番のメリットは、そこに必ず主がいることです。
2~3人で心を合わせて祈るとき、私はそこにいるとイエス様が約束してくれました。
聖書にはこうも書いてあります、隠れた所で祈りなさい。だから一人で祈ることも大切なのです。
教会で、第三者の口から御言葉を聞くとき、
もしかするとあなたは、牧師を否定する事ができます。「こいつ言ってる事が変だ」それでいいのです。
ただ、そのままにして帰らないでください。変だと思ったらそれを牧師に、言いにくかったら、その場にいる人に聞いてみてください。
イエス様の弟子、トマスも否定しました。「私は十字架に架けられた傷に指を刺し込まなければ信じない。」その時イエスが現れたのです。
教会はその様に、人と人とが語れる場所なのです。
そうでなかったら御言葉なんて、メッセージなんてこのブログの動画で、ユーチューブで十分じゃないですか!(笑)
・神に捧げるということ
日曜日に教会に行ったら、残りの半日で遊びに行く?時間が足りませんよね。
月曜から金曜土曜まで私たちは、勉強や仕事、家事に洗濯。一時も休む間も無く動いて働いて。全てに解放されて1日中遊んでいたいじゃないですか!教会に行くという事は、その貴重な時間を神様に捧げているのです。
教会での、賛美や献金や奉仕が「神に捧げる」だけじゃない。あなたの貴重な時間を捧げているのだから、神様が、あなたを顧みないわけがない。
ましてや、あなたは主に選ばれたのだから
主と共に歩もうではありませんか。
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岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
〒501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
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