奨励「まず 神の国を求めよ」マタイ6章31節~34節
お話のタイトルは「神の国を求めよ」としていますが「神の国とその義を求めよ」です。
6章31節から34節を大まかに説明すると
ちょっと強引ですが、何も心配するな。と言うことになります。
基本的に人間は心配する生き物ですね
今日のご飯どうしようから始まって、ローンの支払や学生だったら宿題やテスト 進路も気がかりでしょう。
聖書はばっさり言います 「そのような事で思い煩うな」
神様は心を砕いて心配してくれている だから神を信頼しなさい。
開き直りなさいとは、ちょっと違いますよ?
宿題は期限内に提出したり、献立は家族のためにも考えて下さい。
それら諸問題の前に、神様を信頼しまず第一にしなさいという事です。
神の国とその義を求めよ
一粒の種は地に落ちなければ実を結ぶことがない。
平和を作り出す人、互いに愛し合う人 そのような人たちは神の国を作り出す人です。
神の義とはなんでしょうか 信仰のポイントになる所です。
アブラハムは、神の命令によってその独り子を生贄として捧げる
その信仰による行動によって義とされました。
永遠の命を得るために私は何をしたら良いでしょうか
イエス様は答えました
すべての財産を捨てて貧しい人に分け与えなさい。
(ルカによる福音書18章18節)
もし彼がイエス様の言葉を信じて全てを捨てたのなら
その行動によって義とされるでしょう。
結果彼の受ける祝福は、必要としているもの全てが与えらる。
と聖書に書いてあります。
さて、私たちは全てを捨てることが出来るでしょうか
家や車、貯金や財産と呼べるもの
しいては、両親や妻や夫 家族と呼ばれる子どもたちまで
非常に難しいことでしょう
でもまず一切の問題を全て委ね、神様を第一にしてみましょう
その時必要なものは全て与えられます。
でもそれは、ラクダが針の穴を通るくらい難しいことなんだと、イエス様が言ってます。
出来ますか?私には出来ません(笑)
私もまた、自分のちっぽけな財産を握りしめ背中を丸める者です。
偉そうなことを言いつつ、こんな事も出来ない小さな者です。
情けないですね。
こんな私でもイエス様は愛して下さるでしょうか
実は、こんな私でも主は私のためにその命をかけてくださいました。
確信は有るのかと問われたら、ためらわず「はい」と言います。
いつか私は針の穴を通り抜けようと思っています。
実現するかどうかは主の御心しだいですが
とにかくその日までイエス様の十字架にすがって行くのです(笑)
0 件のコメント:
コメントを投稿