今日のお話はルカによる福音書7章11節~17節より、
「キリストの慰め」についてお話します。
イエス様がナインという街にはいったところ、お葬式の列に出会いました。
先にご主人を亡くされた婦人が息子と二人で生活していたのですが
その息子も亡くなってしまいました。
とても切ない悲しいお話です、近所の人たちも同情して一緒になって泣いていました。
あまりにも悲しい出来事にイエス様は婦人に言います
「泣かなくても良い」
聖書の箇所が違うのですがマタイによる福音書5章4節にこの様な事が書いてあります。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
なぜ悲しむ人が幸いなのでしょうか?
どの様に慰められるのかの具体例が、今日の聖書のお話です。
ご主人と一人息子を喪った御婦人の悲しみはどのくらいでしょう
もしわたしがその場に居たとして、その人を慰められるでしょうか
せいぜい「お悔やみ申し上げます」とか「お気を落とさずに」などと
そんな気休めにもならない言葉しか出ません。
ところがイエス様は「泣かなくても良い」「悲しむものは幸いです」と言う
まるで人の気持ちを逆なでしてもおかしくないような言葉です。
根拠はなんだと問い詰めたくなりませんか?
根拠はこうです
「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」そう言うと青年が生き返ったのです
息子を亡くしたあなたは泣かなくても良い。(なぜなら)彼を生き返らせるから。
これがイエス様の慰め方なのです。
ですから、悲しむ人は幸いなのです。(なぜなら)キリストが慰めて下さる。
今は、悲しむものは幸いじゃない状態です
でも、後から慰めを受けるという約束です
キリストを信じるものは、その結果慰めを受ける
今そうなるか、時間がたってからそうなるのかはわかりません
でも、それを信じるとき、慰めはられるのは約束されるのです
それがなければ諦めの人生しかないです
どこに望みを置くのか
キリストの他に救い(慰め)はないと聖書は語っています。
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