2019年7月25日木曜日

7月28日のメッセージは「私はいのちのパンです」

聖書:ヨハネによる福音書 6章1節〜10節


 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリアの湖の向こう岸へ行かれた。
大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

 イエスは目を上げて大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、 しようとしていることを知っておられたからである。
ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんな大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

今回も有名な聖書の箇所です。(有名でない聖書の箇所ってどこでしょう^^)
五つのパンと二匹の魚を、男性だけでも五千人の群衆に分け与えるシーンです。

他の福音書にもこのシーンが書かれていますが、
ヨハネだけが書いている幾つかの事。
例えば
どうやって食事を取らせるかピリポに相談したこと。
パンと魚を持っていたのは少年だったということ。
魚を持ってた少年を探し当てたのはペテロの兄弟アンデレだったこと。
また、付き従った群衆の様子など。
他の福音書では、集まってきた群衆にイエス様は哀れみの目を持っていたり、ルカによる福音書では、彼らを(群衆を)喜んで迎えた。と書いてます。
ヨハネの立ち位置というか、視点の場所がイエス様にすごく近い感じがするのですね。

この前に、バプテスマのヨハネが牢獄で首をはねられます。
そのことに関するイエスの心中をヨハネが感じ取れたから、具体的に書かなかったのではないか。
また、使わした弟子たちが数々の奇跡を起こし、戻ってきてイエスに報告している姿は
個人的な見地ですが、嬉々として報告してたのではないかと
そんな弟子たちには、自分の感情は押して対応する姿を、ヨハネは感じ取っていたのではないだろうと思います。

物理的な奇跡を見たから従う。
さらにもっと見たいという群衆に、イエスは言います
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」 ヨハネ6章27節

食事をするようにみ言葉に触れ、祈ることが求められてるように思います。

28日の礼拝では、この箇所のみ言葉が語られます。
その場所に行けることを感謝しましょう!
また、礼拝の後はアイスクリームパーティーがあります!
教会学校もあります!
楽しみな日曜日ですね(^^)

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