6月30日澁澤道忠牧師のメッセージは次の通りでした。
聖書ヨハネによる福音書3章1節〜9節
奨励「風まかせの人生」
今日は「風まかせの人生」という
風まかせとか人任せという言葉があります
昔は人間っていうのは風の吹くまま気の向くままという生き方でした
戦争中とか否応なしに軍隊に引っ張られていってしまう。
だからやけになって風まかせの生き方しかできないんです。
今日開くところの、ニコデモという人がいますが(ヨハネによる福音書3章1節)
この人は、地位もあり裕福な生活をしているのですけど
実は風まかせの人生なんですね!
ーヨハネ2章23節ー
イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられた時、
多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。
過越の祭のため敬虔なユダヤ人が神殿に集まっており、
その行いをみて、イエスを信じたのですが、イエスは彼らを信用してなかった。
もう見抜いてたのですね、その中にニコデモさんもいたのですよ。
24節に「イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。」と書いてあります。
お任せにならなかったとは、信用してなかったという意味です。
ある夜にニコデモは夜にイエスのところにやってきて言いました。
「先生、私たちはあなたが、神のところから来たのを知っています。」と言うのです
これはいわゆる丁寧な挨拶ですね、みんながイエスのことを神の子だと言っています。
でもイエスは、それらの言葉が口先だけのことだと、わかってますからこう答えました
「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」
新しく生まれるという言葉にニコデモさんは混乱してしまうのですね
「もう一度、母の胎いに入って生まれることができましょうか」
ここにはイエスを、ちょっと見下したというようなニュアンスも含まれています
一般常識では考えられないことをいいますからね
そこで、イエスは「もう一度生まれる、新生」ということを語られます
「人は水と御霊にによって生まれ変わらなければ、神の国に入ることはできません」
水と御霊 水はヨハネがやっていた水にザブンとつける洗礼ですね
いわゆる儀式で、形を持って証しをすること。そして、霊によるによる洗礼
この二つによらなければ。と教えるのですが、御霊がわからない。
しょうがないですね!御霊なんて、目に見えませんから
イエスは続けます
私が言ったことを、不思議に思ってはなりません。
不思議とは、疑うということですね
「(御霊とは)風はその思いのままに吹き、
あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くのか知らない。
御霊によって生まれ変わるものもみな、そのとおりです。」
風は目に見えませんが、確かにそこに風が吹いています。
私たちは音で、風が吹いてることがわかるでしょう。
御霊も目には見えませんが感じることができるのです
その御霊によらなければ、新しく生まれることはできない。
疑うことなく信じれば、認めてしまって心を鎮めれば
風の音を聞く時のように、それに耳を傾ければ感じることができるのです。
「どうしてそのようなことが、ありうるでしょう!」とニコデモさんもおもいました
肉によって生まれたものは肉です。御霊によって生まれたものは霊です。
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岐阜神愛キリスト教会では
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