2019年7月8日月曜日

目が不自由だったバルテマイさんの話

イエス様と弟子たちが、ガリラヤからエルサレムに向かう途中の、小さなお話です。

ー聖書ーイエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出られると、
テマイの子のバルテマイという盲人の物乞いが、道ばたにすわっていた。

今日はこのバルテマイさんのお話です。
彼は、盲人で物乞いでした。物乞いというのは乞食のことですね。
エリコというとても大きな街の片隅に、乞食をしていたバルテマイさん。
テマイの子、バルテマイと書かれていることからテマイ家の息子さんと想像されます。

当時のユダヤでは、盲人は虐げられていました。
彼は生まれたときから盲人ではなかったそうです。
途中から見えなくなり、仕事もできなくなりました。
律法では盲人は物乞いをしなければならなかったそうです。
彼にとっては、もうどん底のような生活だったのでしょう。

そんなある日、エリコの街が騒ぎ立ちます。
「ナザレのイエスが来た」と知らされると、バルテマイさんはびっくりしました
「それはダビデの子イエス・キリストのことじゃないか!」

イエスの名前は、数々の奇跡によって多くの人の支持を得ていましたが
「ナザレ」とは土地の名前で、「田舎者のイエス」というニュアンスもあります

一方、バルテマイさんの認識は
「ダビデの子」=イスラエルの王族の子孫で、虐げられたイスラエルを復興させる方
「聖書に予言されている、力ある王族のご子息がこの街にいらした」
そのような認識と同時に、そのくらいの豊富な聖書知識があったと思われます。

目が見えなくなってしまった自分にとって、またと無いチャンスが来たのです。
「ダビデの子よ、イエスよ私を憐れんでください」かれは力の限り叫びました
すると群衆はたしなめました。あまりにも叫び続けるので、今度は彼を取り押さえました。
それでも彼は声の限りに叫びます
「ダビデの子よ、私を憐れんでください!」

もみくちゃになってる人々を見たイエスは
その叫び声を聞いたのでしょう
「彼を私のところに連れてきなさい」と命令します。

取り押さえていた人々は「よかったな、さあ立ちなさい、あなたをお呼びになっている」
するとバルテマイさんは上着を脱ぎ捨ててイエスのところに行きました。
イエスは「私に何をして欲しいのか」と聞くと
「主よ、見えるようになることです」と答えました。
するとイエスは「さあ、行きなさいあなたの信仰があなたを救った」
その途端彼の目が見えるようになりました!
彼は大喜びで、イエスの行くところについていきました。

あっさりと書きましたが
物乞いのバルテマイさんにとって脱ぎ捨てた上着は、彼の持ってる全財産でした。
全財産を捨ててイエスのもとに立ち上がった彼の望みは
幸せになることでも、金持ちになることでもなかったのです
「ただ見えるようになりたいのです」
そして、見えるようになったバルテマイさん

でも、これだけの話で、聖書の中に名前が記されたのはどういうことでしょう
道ばたに座っている盲人の物乞いだけでもよかったはずです。

彼は「イエスの行くところについていった。」
生涯を主に仕える弟子になったということなのです。

盲人の物乞いであったバルテマイさん
後に初代教会キリスト教会のリーダー的存在になっていきます。

「イエスを信じる」ということは生きがいであり、まさに希望の回復なのです。


奨励:「希望に向かって」
聖書:マルコによる福音書10章46節~52節
澁澤道忠牧師

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