2020年1月16日木曜日

「ステパノの殉教」1月1日礼拝より

「ステパノの殉教」

まずステパノという人についてちょっとだけ説明します
新約聖書の最初のほう。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書はイエス様のお話が書いてあります。
次にくる使徒の働き(使徒行伝)はイエス様が天に帰ってからの話が続いています。
その使徒の働きのなか、最初の方(6章)にステパノの名前が出てきます。
彼は最初の頃の教会で、熱心な働きをしていました。ところが各方面に敵を作ってしまい、ついには石打ちの刑で殺されてしまいます。ステパノはキリスト教史上最初の殉教者になってしまいました。
ステパノが民衆に石打ちの刑に処せられた時、サウロという青年が近くにいました。彼もステパノの刑には賛成していたのですが、サウロは後のパウロとなってイエス様の福音のため活躍する人物になっていきます。


「神の言葉を余すところなく伝えるためです。」

上記が今年の標語です
ただ、この部分だけですと意味がよく伝わらないので補足します
(コロサイ124節~25節)

24)ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
そして、キリストのからだのために、私の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
キリストのからだとは教会のことです。
25)私は、あなたがたのために神からゆだねられた勤めに従って、
教会に仕える者となりました。
神のことばを、余すところなく伝えるためです。

大切なのは、「キリストの苦しみの欠けたところ」です。ちょっと難しい日本語ですね。
あなたがたはキリストの名のもとに苦しめられる。とイエス様は時々言ってます。

イエス様は当時のユダヤ人から妬まれていました。
なぜでしょう。イエス様はぽっと出の若造でした
そのような者が、聖書には詳しいし、数々の奇跡も起こしてしまう。
だれも彼を言い負かす事が出来ない。我慢ならない存在だったのです
だから彼を十字架につけて殺したのです。すべては妬みから起こった行動でした。
そのキリストを信じた人々も同じ様に
ユダヤ人から憎まれたり妬まれてしまいました。(ステパノもその一人です)

では、なぜそういう苦しみを受ける時イエス様が直々に助けてくれないのだろう。
本当の神様だったらできるだろう。奇跡を起こしてみろ!自分を救え!
それは出来ません。
これが欠けたところです。殉教者に限らず、教会では様々な問題を抱えます。
お金が無い駐車場がない、病気や怪我をしてしまって礼拝に出られない(笑)

そういう欠けたところを、みんなで補っているのです。

何のためかというと、神の言葉を余すところなく伝えるためです。とつながるわけですね。
ですので、当教会の数々の悩み
それらは信徒である皆さんが犠牲を払って補っている
何のためでしょうか
教会のためキリスト、イエス様のため。
それは「神の言葉を余すところなく伝えるため。」です

みんなが伝道者じゃないです。
でもみなさんが欠けたるところを補う事によってキリストを証しする事になるのです。

今日が2020年元旦です
今年一年の標語は「神の言葉を余すところなく伝えるためです。」
キリストと主に歩くと決めたこの日を祝おうではありませんか!
今年一年がみなさんにとって良い年であることを祈ります。 



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