2020年5月11日月曜日

「愛がなければ」2月23日


「愛がなければ」

1コリント13章1節~13節

愛についてのお話をします。

これはコリントの地方にいる人たちに宛てた、パウロという人の手紙です。
その中に愛とはどういうものかという事が書いてありますので、読んでいきましょう。
13章の1節から3節には、切々と人がどんなに立派な行いをしても、愛がなければ意味のない事だと書いてあります。
「わたしに預言をする力があり、山を移すほどの強い信仰があっても
もし愛がなければ、わたしは無に等しい。」
わたしには山を動かすほどの信仰もへったくれもありませんので、それはそれで凄いことだと思うのですが、そんなものは無意味だと切り捨てていきます(笑)
4節からは、愛とはこういうことなんだよと書いてあります。
ただ凄いことが書いてありますが、ここも私に置き換えますと、わたしにはとてもとてもこの様な「愛」は手が届かない、まさに理想です。
結論に、最後まで残るのは「信仰と希望と愛、その中でいちばん大切なのは、愛です」と書いてあります。

なんて立派なことが書いてあるのだろう。と思いませんか?
実はこれ、人間の愛は・・・と言ってるのではありません
「神は愛です」と聖書に書いてあるように、神の愛はこう言う事ですよ!と説明しているのですね。
「わたしの財産を誰かにすべて施しても、神様の愛がなければ虚しい」このように読むとなるほどと思います。
「愛は寛容であり、愛は情け深い」=「神様の愛は寛容であり、神様の愛は情け深い」

例えば、神様の愛。これは太陽の光のようなものです。わたしたちや信仰を持った人持たない人にかかわらず、常に降り注いでします。
神様は、一部の特定の人や、正しい人にだけ恵みを注いでる。そんなものではありません。正しい人にも悪い人にも同じように恵みは(愛は)降り注がれているのです。
問題はその光を仰ぎ見ることが出来るかどうかです。両手を広げて恵みを受けるのか、行いに恥じて身を隠すのか。
さらに極端に言いますと、わたしたち人間にはこの様な愛は元から無いのです。
愛は、神様から頂くもの、おすそ分けしてもらうような事なのです。

世の中を見てみましょう

まぁよくも悲しいことばかり起こるものだと思ってしまいます。
でも、考えてみてください。あなたの知っている悲しいニュースは、もしそこに神様の愛があったならどのような結果になっていたでしょう。
そんな立派な愛でなくても、十分の一でも小さな愛があったのなら悲しいことは起こるでしょうか。本当に私たちには愛がない。だからこそ、今こそ主を仰ぎ見るべき時なのです。

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