2020年5月21日木曜日

5月24日の礼拝は「自分をなくした人」です。

奨励「自分をなくした人」

マルコの福音書 1020節~27

すると、その人はイエスに言った。
「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」
イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。
「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。

イエスは、見回して、弟子たちに言われた。
「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」
弟子たちは、イエスのことばに驚いた。
しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。
「子たちよ。神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。
「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」
イエスは、彼らをじっと見て言われた。
「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」

24日のお話はここからです。
イエスさまが言った言葉で「ラクダが針の穴を通る方が・・・」
不可能だとの例えですが
わたしがまだ小学4~5年の頃でしょうか
なにかのテレビ番組で、象牙の彫刻で小さなラクダを彫り、それを針の穴に通す。
というのと
おっきな針の穴を作って、ラクダを通している映像を覚えているのですが
子ども心にも、ほんとくだらないと思いました(笑)
小さいラクダは、まぁいいとして大きな針は、すでに針じゃないし!
奨励の「自分をなくした人」はそういう意味での「なくした」ではありません。

さておき!
イエスさまに質問した人に
「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。」とあります。
「いつくしんで」漢字では「慈しむ」英語では「genuine love
悲しみながら立ち去った彼を見送るイエスさまも、さぞかし辛かったのだろう
そんなことを考えると、前者のちっさいラクダだの馬鹿げた針には
も~人間って情けないです(^^;)


**********************
岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
058-245-0361

**********************

0 件のコメント:

コメントを投稿

 ブログを引っ越しました。 https://ameblo.jp/gifu-shin-ai-church/