2020年6月19日金曜日

6月21日の礼拝は「神の御計画」です

奨励「神の御計画」

ヨハネの福音書1928節~37


この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、

聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。

そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。

そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、

それをイエスの口もとに差し出した。

イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。

そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。


その日は備え日であったため、

ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、

死体を十字架の上に残しておかないように、

すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。

それで、兵士たちが来て、

イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。


しかし、イエスのところに来ると、

イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。

しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。

すると、ただちに血と水が出て来た。


それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。

その人が、あなたがたにも信じさせるために、

真実を話すということをよく知っているのである。


この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」

という聖書のことばが成就するためであった。

また聖書の別のところには、

「彼らは自分たちが突き刺した方を見る。」と言われているからである。


次回の礼拝はヨハネの福音書からです

イエスさまが十字架にかけられ、絶命する場面で、こころが苦しくなります。

この時、すでに死亡しているイエスさまの脇腹を槍で突いた兵士

彼は任務としてそうしたのかな?と思うようにしています

もし私がその立場だったら・・・ぞっとしますね(^^)

では「十字架に架けよ」と支持した人たちは

ポンテオ・ピラトのもと苦しみを受けとは、

はたしてピラトは裁判で十字架を支持したのかと思ったりします。

罪を認められなかったイエスを十字架に架けたわたしは、

その時どう感じたのでしょう。


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