奨励「からだは一つ」
コリント人への手紙第一 12章12節~20節
ですから、
ちょうど、からだが一つでも、
それに多くの部分があり、
からだの部分はたとい多くあっても、
その全部が一つのからだであるように、
キリストもそれと同様です。
なぜなら、私たちはみな、
ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、
一つのからだとなるように、
一つの御霊によってバプテスマを受け、
そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
確かに、からだはただ一つの器官ではなく、
多くの器官から成っています。
たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」
と言ったところで、
そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」
と言ったところで、
そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。
もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
しかしこのとおり、
神はみこころに従って、
からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
もし、全部がただ一つの器官であったら、
からだはいったいどこにあるのでしょう。
しかしこういうわけで、器官は多くありますが、
からだは一つなのです。
キーワードは「より優れた賜物を熱心に求めなさい」
今度のメッセージは、パウロ先生のお手紙からのお話です。
ぱっと読むと、なんだか難しそうな文面ですが、よく読むとそんなに難しい話じゃないのです(^^)
でも実は、深いお話なんですね!
私は毎朝犬の散歩をしているのですが、道すがら色んなものを見ながら歩いています。
朝は色んな物がとても綺麗です
朝露に光る雑草とか(笑)
雑草とかバイ菌とか、ひっくるめて言われますが、そういう草や菌は無いのだそうです。
自然に有るものは、何かしら影響しあって役に立っている。
今回のお話も、人、個々の役割を体の器官に置き換えて、みんな大切なんだ。
と言うことのお話です。
そんなことを時々思いながら犬の散歩をしてみると
なんだか楽しいのです。
特に朝は、陽の光が低い位置からさしますので、
いつも見慣れた風景も、ちょっと違うのですね(^^)
**********************
岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
https://gifushinaichurch.wixsite.com/gifu-shinai
〒501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
058-245-0361
**********************
0 件のコメント:
コメントを投稿