ルカによる福音書 16章1節から10節
イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。
「ある金持ちにひとりの管理人がいた。
この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
主人は、彼を呼んでいった
『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
管理人は心の中で言った。
『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力が無いし、物乞いをするのは恥ずかしいし。
ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
そこで彼は、主人の債務者をひとりひとり呼んで、まず最初の者に、
『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
その人は、『油百バテ』と言った。
すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。
それから、別の人に、
『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、
『小麦百ゴル』と言った。
彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。
この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、
主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
そこで、わたしはあなたがたに言いますが、
不正の富で、自分のために友をつくりなさい。
そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
8月最初の礼拝
奨励は「よい友をつくろう」です。
わたしは、この箇所が難しくて難しくて、正直言うと理解できません(^^;)
こうして、聖書を書き写すと、今まで気がつかなかったことがある事に気がつきます。
最初の、「イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。」と書いてあります。
「弟子たちに」ではなく、「弟子たちにも」もがつく事によって、弟子以外に話してたのだが、ついでに弟子にも話して聞かせた。となるのでしょうか
15章の1節に
さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
するとパリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする」
この後、99匹の羊を残して失われた1匹の羊を探し出す話。放蕩息子の話と続きます。
これらは取税人、罪人、パリサイ人、律法学者向けに話されたことで、これに続く不正な管理人の話は、彼らに加えて弟子たちも対象にした。
もしわたしが、ザアカイさんのような取税人で、御多分に洩れず、悪事を働いてたとします。その罪を知った主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。と言われたらちょっと嬉しい気持ちになる。
そう解釈してみたが、どうでしょう。ん~ちょっと難しいですね!
日曜日のメッセージを待ちましょう。心を鎮めて、このような者でも理解できるように祈ります。
では日曜日に教会でお会いしましょう!
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