2020年2月26日水曜日

「わたしは いのちのパンです」ヨハネの福音書6章34節


奨励「わたしは いのちのパンです」


ヨハネの福音書6章34節

道忠先生が入院したため、清子先生のメッセージとなりました 聖書は、ヨハネの福音書6章34節から、いのちのパンについてのお話です ビデオの前半は岐阜神愛キリスト伝道所のことをお話します。 先生は「汝ら我をえらびしにあらず 我、汝らを選べり」(ヨハネ15章16節) との御言葉を頂き牧師の道に入りました。 当時は文語訳と言う聖書ですので、この様な言い回しになっていますが 今どきの言葉ですと 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」  となるのですね(^^) 少しわかりにくい言い回しですが、文語訳は
好きです。

さて、「いのちのパン」とはなんでしょうか

旧約聖書の中に エジプトからモーセがイスラエルの人々を連れ出すお話があります(出エジプト記) エジプトを出た民族は、食べ物がなくなりました モーセが神に祈ると、天から「マナ」と呼ばれるパンが降ってきました。 また、イエス様が人々に聖書のお話をしていた時 5つのパンを裂き、5000人の人々に分け与えました。 いのちのパンとは、それらのような物質的なパンではありません。 物質的なパンは、いずれお腹が空きますが 神の口から出る御言葉(パン)は尽きることがありません 人を、心を育てるパンの事なのです。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」

聖書の言葉に「信仰と希望と愛」があります。 もし私たちが、食事のパンだけで生きているのなら 水槽の金魚と同じではありませんか? 信仰と希望と愛があれば、どれほど素敵な生活になるでしょう どんなに美味しいごはんを食べても どんなにお金を持っていても どれほど豪華なお部屋に住んでいても それがなければ虚しくないですか? 逆に、 例え「ごま塩のおにぎり1個」でも 財布の中身が100円しかなくても イエス様を信じれるのなら、 信仰と希望と愛があるのならOKじゃないでしょうか(笑) 清子先生にとってのいのちのパンは 「汝ら我をえらびしにあらず 我、汝らを選べり」だったのですね! メッセージは続きます どうぞお時間の許す限り動画をご覧ください。 そして、きっとあなたも イエス様のくださる「いのちのパン」を受け取ってくださいね(^^)



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岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
058-245-0361

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