奨励「わたしは いのちのパンです」
ヨハネの福音書6章34節
道忠先生が入院したため、清子先生のメッセージとなりました 聖書は、ヨハネの福音書6章34節から、いのちのパンについてのお話です ビデオの前半は岐阜神愛キリスト伝道所のことをお話します。 先生は「汝ら我をえらびしにあらず 我、汝らを選べり」(ヨハネ15章16節) との御言葉を頂き牧師の道に入りました。 当時は文語訳と言う聖書ですので、この様な言い回しになっていますが 今どきの言葉ですと 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」 となるのですね(^^) 少しわかりにくい言い回しですが、文語訳は好きです。
さて、「いのちのパン」とはなんでしょうか
旧約聖書の中に エジプトからモーセがイスラエルの人々を連れ出すお話があります(出エジプト記) エジプトを出た民族は、食べ物がなくなりました モーセが神に祈ると、天から「マナ」と呼ばれるパンが降ってきました。 また、イエス様が人々に聖書のお話をしていた時 5つのパンを裂き、5000人の人々に分け与えました。 いのちのパンとは、それらのような物質的なパンではありません。 物質的なパンは、いずれお腹が空きますが 神の口から出る御言葉(パン)は尽きることがありません 人を、心を育てるパンの事なのです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
聖書の言葉に「信仰と希望と愛」があります。 もし私たちが、食事のパンだけで生きているのなら 水槽の金魚と同じではありませんか? 信仰と希望と愛があれば、どれほど素敵な生活になるでしょう どんなに美味しいごはんを食べても どんなにお金を持っていても どれほど豪華なお部屋に住んでいても それがなければ虚しくないですか? 逆に、 例え「ごま塩のおにぎり1個」でも 財布の中身が100円しかなくても イエス様を信じれるのなら、 信仰と希望と愛があるのならOKじゃないでしょうか(笑) 清子先生にとってのいのちのパンは 「汝ら我をえらびしにあらず 我、汝らを選べり」だったのですね! メッセージは続きます どうぞお時間の許す限り動画をご覧ください。 そして、きっとあなたも イエス様のくださる「いのちのパン」を受け取ってくださいね(^^)**********************
岐阜神愛キリスト教会では
毎週日曜日
午前10時30分~聖日礼拝
毎月第2・第4日曜日
午前9時50分~こどものための聖書学校
が行われています。
〒501-6002
岐阜県 羽島郡岐南町 三宅2-121
058-245-0361
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